仮想通貨ビットコインの論文が公開10周年|ビットコインの歴史を振り返る
- 仮想通貨ビットコインのホワイトペーパーが10周年を迎える|昨今の政経変遷を回顧
- ビットコインの論文:『ビットコイン:P2P電子マネーシステム』がいよいよ日本時間10月31日をもち、10周年を迎える。この革命的決済システムの誕生と発展にまつわる重要な歴史を振り返りながら、ビットコインの今後を展望した。
金融危機とビットコイン
2018年10月31日はビットコインの論文 (ホワイトペーパー)が発表されてから10周年となる。
この発表は世界の金融システムのあり方そのものを変えたと言っても過言ではない重大な出来事とされている。
これまで、世界各国の中央銀行により管理されていた金融システムが「非中央集権化」により分散化され、特定の機関により管理されないというこれまでの概念から言えば非常識的とも言えるシステムだったかもしれなかった。
コインポストでは、仮想通貨概念の発想からビットコインの誕生、そして現在までの歴史を回顧していきたい。
ビットコイン以前の歴史
ビットコインという世界初の暗号通貨自体は2008年まで存在しなかったが、概念としては1982年まで遡る事ができる。
まず1982年に、コンピュータサイエンティストのDavid Chaum 氏が「Blind Signatures for untraceable payments」という論文を発表した。
彼が考案した新しい暗号により自動的な送金システムを創れるという現在の仮想通貨の発祥とも言えるアイデアとされている。
これをもとに1990年には安全に送れるオンライン通貨というビットコインに近い考えでDigiCashという会社を設立した。
しかし残念な事に事業はうまくいかずに90年代後半には倒産している。
一方で、1997年には、仮想通貨自体への道を切り開いたと言っても良いほどに、Adam Back氏は現在のビットコインのコンセンサスアルゴリズム=Proof-of Workに非常に近いhashcashを考案した。
そして、1998年には現在のビットコインに非常に近い概念が新たに2つ発表された。
それが、Wei Dai氏の「b-money」とNick Szabo氏の「Bit Gold」というProof-of Workを使い中央銀行の様な第三者に支配されない現在のブロックチェーンに近いシステムが論文として発表されたが、残念ながらもそれ以上先に進む事は無かった。
実在の人物かも不明で、また複数によるグループに使われた仮名とも言われているが、サトシ・ナカモトと呼ばれている人物は数年に渡る研究を続けた後、2007年からビットコインのコードを書き始めたと言われている。
しかし彼は研究成果を直ぐには発表せずに社会状況を考えて「その時」を待ちました。そしてそれは2008年に来た。
『世界的経済危機』
2008年が来る前にも中央銀行が抱える様々な問題は浮き彫りにされている。
2007年から始まる米国の住宅ローン危機を発端にリーマン・ショックが起き、それに連鎖されて世界金融崩壊と呼ばれる世界規模の金融危機が襲来した。
この住宅ローン危機 は2008年へと引き続き住宅差し押さえの比率は57%も上昇した。
そして、ウォール街では、2008年3月には大手投資銀行のベアー・スターンズが経営悪化のため、ニューヨーク連邦準備銀行がJPモルガン・チェースを経由して129億ドルのつなぎ融資を実施。連銀はモルガンによる買収を斡旋し、最終的には5月30日にモルガンに救済買収された。
当時のブッシュ大統領による税金リベートなどの策も功を奏せず、フレディ・マックと呼ばれる連邦住宅金融抵当公庫や、Fannie Maeの通称の連邦住宅抵当公庫も経営危機により最終的に国有化(政府支援機関)されている。
2008年9月にはアメリカ合衆国下院が緊急経済安定化法案をいったん否決したのを機にニューヨーク証券取引市場のダウ平均株価は史上最悪まで暴落し、金融危機は世界各国まで連鎖的に広がっていた。
同月にはさらに当時米国における投資銀行トップ4のリーマンブラザーズが破産宣告、株価は暴落し、投資家たちの間ではパニックが生じ投資からの引き揚げは記録的な数字となった。
10月にはアメリカ、ヨーロッパや日本の政府、金融機関が協力しあってお互いの銀行が破綻しない様に援助しあうという行動を取っていた。
ビットコインの誕生
この様な様々な金融危機の中、サトシ・ナカモトはビットコインの発表の時期が来た事を感じ取ったのかもしれない。
リーマンショック後にサトシ・ナカモトがビットコインの初めのブロック(Genesis Block)に記したメッセージは以下の通りだ。
『英タイムズ紙:財務大臣 二度目の銀行救済措置へ』
中央集権である政府や金融機関が信用できなくなってきたと感じている人々にとって、ビットコインの概念ほど的を得たものはないとされている。
その後広く一般まで受け入れられるのには時間がかかっているが、この概念こそが金融機関が抱える問題に対する答えだと期待する人達は後を絶えない。
そして10月31日に論文(ホワイトペーパー)を公表。ついに仮想通貨の歴史の幕を開ける一歩となった。
タイミング的にこれほど良い時期はなかったと言えるだろう。
ビットコインによる送金
2009年の始めにサトシ・ナカモトが最初のビットコイントランザクションとして10BTCをプログラマーでデベロッパーであるHal Finney氏へ送った。
また、同年10月にはNew Liberty Standard社により最初のウェブ上でのビットコインの販売が行われた。この時点では1ドルで1,309.03BTCという価格だった。
しかし実際にビットコインを使っての売買が始まったのは、約1年後の2010年5月だった。
今やレジェンドと呼ばれるフロリダのプログラマーがマイニングしたビットコインを実際に使って見たいと思い、オンライン上のフォーラムで「ピザを二つ買いたいので10,000ビットコインを送ったという逸話がある。
「ピザを作ってもってきてくれてもいいし、ピザ屋からオーダーして届けてもらってもいい」と書いた所、他のユーザーが引き受け、ビットコインを受け取ったのちにピザ屋へデリバリーオーダーを入れた、というのが最初のビットコインの使用例として有名だ。
ちなみに、今の価格に換算するとピザ一つに現在のビットコインの時価総額に換算すると35億円を払った事になる。
これを機に、実際にビットコインが送れるという例が出来たために次第に使われていくようになったそうだ。
ビットコイン・仮想通貨市場の展望
取引され始めてから8年間、ビットコインは、乱高下を繰り返しつつ、2013年には初めて$1,000の壁を突破、2017年の終わりまでには$19,783まで上がっていた。
そしてまたいくつかの暴落を記録し、本稿執筆現在では$6348(71万6千円)ほどだが、ベンチャーキャピタリストで億万長者のTim Draper氏などは2022年までに$250,000(約2800万円)に高騰するという強気な予測もしている。
ビットコインが始めた仮想通貨革命をきっかけに、今や、様々なプロジェクトが創出されきて、ビットコイン最初の決済概念のみならず、数多くの業界を変えようとしている。
短い歴史の中で様々な変貌を遂げた、機関投資家や政府、国際金融組織も無視できなくなった仮想通貨市場に関しては、今後の動きには目が離せないと言える。
特に最近では、NYSEの姉妹会社Bakktが仮想通貨取引所を開始することや、世界的大手金融企業Fidelityが機関投資家向けのカストディサービスの提供を発表したこと、そして待望のビットコインETFの承認に集まる高い関心なども全体相場の回復の鍵となるとされており、ビットコインやその他の仮想通貨が主流市場となりうると考えられるだろう。
仮想通貨界隈では頻繁に、仮想通貨の現状をインターネットの黎明期に例える著名人が後を絶えないが、今から10年後の未来でビットコインや仮想通貨がどのように使用されるか気になるのはCoinPost編集部だけではないはずだ。
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「仮想通貨」とは「暗号資産」のことを指します