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ミームコインは何を売っていたのか——信じることの再配置|HashHub Research

画像はShutterstockのライセンス許諾により使用

※本記事は、HashHub Researchの許諾を得てCoinPostに転載しています。 執筆者:ベランダチルボーイ 執筆日:2026年8月17日
ミームコインは何を売っていたのか——信じることの再配置|HashHub Research

連載「今更聞けないWeb3」第9回

目次

0. 犬がお金になった日

ある金曜日、犬がお金になった。

最初に気づいたのは、銀行だった。窓口に「犬のお預け入れには本人確認書類が必要です」という貼り紙が出て、午前十時には、犬の売買専用の相談ブースが増設された。

ニュース番組は、犬が前日比12%上昇した、と伝えた。呼ばれた専門家は、犬にはまだ上値余地がある、と述べた。別の専門家は、犬の本源的価値を冷静に見極めるべきだ、と述べ、その足で、犬を買いに行った。

犬を持っていた者は、自分には前から犬の価値が分かっていた、と言った。持っていなかった者は、次にお金になる「犬」を、探し始めた。犬がお金になったことを不思議だと言った者は、たった一人だった。その者は、時代が読めていない、と笑われた。

やがて、カエルもお金になった。帽子をかぶった犬も、おならも、大統領の名前も、お金になった。

人々が問題にしたのは、それらがお金になったことではない。次に何がお金になるのかが、誰にも分からないことだった。

1. 冗談が動かした金額

ここまでに書いたことは、寓話である。だが、誇張ではない。現実の方が、もう少し出来が悪い。

いつもなら、この連載はここで詰まる。分からない場所を探し、そこから書く。ところが、今回は詰まらなかった。

分からないから詰まるのではない。分かりすぎていて、手がかりがない。つるつるしている。指が、どこにも引っかからない。

犬の絵に、値札がついている。柴犬の、少し困ったような顔の写真。冗談で作られ、冗談で買われ、冗談のまま、時価総額が10兆円に迫った。作った二人は、やがて業界から距離を置いた。それでも、犬は死ななかった。

最初の犬——Dogecoinは、2013年12月6日、金曜日に生まれた。開発者は二人。Billy Markus(ビリー・マーカス)と Jackson Palmer(ジャクソン・パーマー)。当時流行していた柴犬のミーム画像を貼り、既存の暗号資産のソースコードをフォークし、いくつかのパラメータを変えただけの実装で、Palmer本人によれば「数時間で終わった」。二人とも、これは crypto 業界の熱狂に対する皮肉のつもりだった、と後年繰り返し語っている。金融を茶化す意図で作った商品が、金融として本気で扱われる——その皮肉が、両者には耐えられなかったようだ。Palmerは早々に業界から距離を置き、以降ずっと crypto 批判の側にいる。MarkusもDogecoinで富を築いたわけではなく、やがてプロジェクトを離れた。

それでも、冗談は死ななかった。むしろ、年を追うごとに肥えていった。2021年、Elon Musk(イーロン・マスク)がTwitterでDogecoinに触れるたびに、価格は数十%動いた。Muskが自身を「Dogefather」と称し、Saturday Night Liveのホストを務めた夜には、生放送の最中に価格が乱高下した。金融商品の値段を、一人の個人の発言タイミングが決める——その光景を、世界中の投資家が見た。時価総額は一時、10兆円に迫った。

そして今、冗談は工業化されている。

中心にあるのが、Solana(ソラナ)——分散ネットワークを高速化するために生まれ、Ethereumより安い取引を売りにするチェーン——上のPump.funという発行プラットフォームだ。使われるのは、ボンディング・カーブ。買い手が増えるほど価格が上がり、一定の規模に達すると、より大きな取引市場へ移される仕組みだ。Pump.funでは、誰でも無料でトークンを作成できる。名前を入れ、画像を貼り、ボタンを押す。それだけで、その瞬間から、そのトークンは市場に存在し、値段を持ち、取引される。

かつて、お金を作るには、コードが書けなければならなかった。合意形成の仕組みを発明し、それが壊れずに動くという神話を、時間をかけて育てなければならなかった。Bitcoinも、Ethereumも、そうやって立ち上がった。Pump.funは、その工程を、丸ごと省いた。コードは書けなくていい。発明も、神話も、要らない。名前と画像さえあれば、誰でも、お金を発行できる。

考えようによっては、これも一つの革命だ。「誰もがお金を作れる」という理念の、最も無駄のない実装。犬の絵に値札をつけるだけの、最先端のスマートさが、ここにある。

この工場は、Solanaの外にも広がり始めている。2026年7月、トークン化株式を看板に掲げて始動したRobinhood Chainで、先に市場の注目を集めたのは、猫を題材にしたミームコインだった。金融のために敷かれた新しい道路を、先に走り抜けたのも、動物だった。

変わったのは、作る側だけではない。載る側も、変わった。

お金に顔が載る、というのは、かつて、特別なことだった。少なくとも日本や米国をはじめ、多くの国の紙幣に描かれてきたのは、その国が「偉大な貢献者」として承認した者たちだ。政治家、思想家、文学者。顔が載ること自体が名誉で、親族はそれを誇り、国民は、紙幣を通じて、自国の偉人の顔を覚えた。誰を載せるかは、国家が握る、限られた席だった。

ミームコインは、その席を、開け放った。有名でなくてもいい。民間人でもいい。人でなくてもいい。神でなくても、ただの犬でも、カエルでも、お金になる。もっとも、日本には、八百万の神、という言い方がある。山にも、道具にも、けものにも、神は宿る。何にでも神が宿るのなら、何にでも値段が宿っても、不思議はないのかもしれない。

発行されるトークンは、多い日には1日に2万を超える。そのほとんどが、数時間から数日で無価値になる。より大きな取引所へ「卒業」する——一定の時価総額に到達する——トークンの比率は、1〜2%に届かない。98%以上の冗談が、投げ込まれた瞬間から、死んでいる。それでも、発行は止まらない。

2025年1月17日——これも金曜日だった——Donald Trump(ドナルド・トランプ)の名を冠したTRUMPコインが、Solana上にローンチされた。大統領就任式の3日前だ。発行から24時間で、将来発行される全量まで含めた評価額(FDV)は270億ドル——約4兆円——に達した。史上最大級のミームコインの誕生だった。就任式まで価格は保たれ、その後、価格の大半を失うのに、数週間もかからなかった。次期大統領の名を冠した金融商品が、就任式の熱狂と共に生まれ、就任式の熱狂と共に消えた。中身は、最初から、事件そのものだった。

日本語圏も、この熱狂から無縁ではない。Discordや有料コミュニティでは、初動情報が売買され、深夜のタイムラインで日本語の合言葉が交わされる。YouTuberやインフルエンサーが「アルファ情報」——早期エントリーの機会——を配り、参加者が同じトークンへ一斉に向かう。数分でチャートが跳ね、数分で崩れる。そこで得た利益も、そこで負った損失も、その日のうちに次のミームへ再投入される。忘却と同じ速度で、資本が回っている。

詐欺と祭りの境界も、単純には引けない。発行者が事前に大量保有していたトークンを、価格が上がった瞬間に売り抜ける——「ラグプル(rug pull)」と呼ばれる行為が、日常的に起きている。だが、多くのミームコインには、そもそもホワイトペーパーがない。明示された約束もない。発行者が売り抜けても、「約束を破った」ことにはならない。何も約束していなかったからだ。参加者は、ただ騙されたのではない。祭りが終わっただけだと、本人もどこかで知っている。詐欺と、ただ終わった祭りの境界は、約束を破ったかどうか、という基準だけでは、引けない。最初から、明示された約束がないからだ。線が引きにくいこと自体が、この商品の設計に埋め込まれている。

これを、詐欺の一語で片付けることはできる。実際、詐欺も無数に混ざっている。だが、それだけでは届かない。担ぎ手の多くは、自分が何を買っているかを、ある程度知っている。終わる祭りだと知りながら、終わる前に入った。明示された約束がない以上、何をもって裏切りと呼ぶのかさえ、曖昧になる。

前回、トラストレスの回の最後に書いた。何も約束せず、それでも売れた商品を見る、と。信頼を要さないトラストレスの次に来たのは、約束を要さない商品——Promiseless だった。

信じていない者たちが、互いに本気では信じていないと知りながら、それでも買う。ミームコインは、この構造を、これほど剥き出しにした金融商品だ。

本稿が問うのは、これが正しいかどうかではない。何が買われていたのか、だ。値札はついていた。金は動いた。なら、何かが売られていたはずだ。棚には、何も置かれていないのに。

その問いに進む前に、白状しておくことがある。今朝、目が覚めて、体を起こす前に、スマホを手に取った。親指で、画面を下へ引く。ニュースが、更新される。市況が、更新される。何も起きていなかった。世界は、昨日のままだった。新しく何かがお金になってはいなかった。そして自分は、少し落胆した。

何も起きていないことに、落胆した。

犬がお金になったことを不思議だと言って笑われた者が、冒頭に一人だけいた。自分は、あの者にはなれていない。

2. 御神体のいない祭り

祭りには、名目がある。豊作への祈り、疫病の退散、神の降臨。神輿の中には御神体が納められていて、祭りはその御神体のために行われる——ことになっている。

ことになっている、と書いた。実際に祭りに行った日のことを思い出す。誰も神輿の中身の話をしていない。中に何が納められているかを知っている参加者は、ほとんどいない。担ぎ手は掛け声を合わせ、見物客は音に誘われ、露店は軒を連ねる。祭りの中身は、御神体ではない。群衆そのものだ。同じ場所で、同じ時間に、同じ熱を上げている人間の群れ。それが祭りの、ほとんどすべてだ。

ただし、それでも御神体は要った。名目がなければ、人は集まる口実を持てない。熱を上げるためには、熱の宛先が、形式として要る。空でもいい。だが、器はなければならない。

ミームコインは、この器から、中身が空っぽであることを隠す努力を取り除いた祭りだ。

神輿は担がれている。掛け声は揃っている。だが、担ぎ手の全員が、中は空だと知っていて、知っていることを隠さない。いつでもその神輿を投げ捨てることが出来る。犬の絵に意味がないことは、犬の絵を買った本人が、いちばん大きな声で言う。

これが、どれだけ奇妙なことか。骨董でも、現代アートでも、投機が値を吊り上げる市場はいくらでもある。だが、そこでは、買い手は「価値がある」という建前を、決して手放さない。内心でガラクタだと疑っていても、口には出さない。売り手も買い手も、その建前を崩さないことで、市場を保っている。建前が崩れた瞬間に、値も崩れるからだ。

ミームコインは、その建前を、要らないと言った。買った本人が、自分の買ったものを、笑いながら、ガラクタだと認める。それでも、祭りは成立する。むしろ、中身の詮索が要らないぶん、神輿は羽のように軽い。祭りは速く、安く、頻繁になった。

対応は取れている。神輿はトークン。掛け声は、タイムラインに並ぶ「売りだ!」「買いだ!」の合言葉。露店は取引所。祭りの日程は、チャートの上下。そして、御神体の不在は、ホワイトペーパーの不在だ。

ただし、この対応表には、書き足しておくべき列がある。祭りには、必ず露店と主催者と、告知役がいる。ミームコインの祭りにも、同じ役割の人間たちがいる。

大手の取引所は、中立なマーケットプレイスを掲げている。上場審査を経ていることを謳い、法域ごとに規制対応を進めていることを広報する。祭りを開いているつもりはない、と言う。ただ、新規上場のアナウンスを一度出すと、価格は数分で数倍に振れ、その乱高下が、そのまま取引手数料になる。開いてはいない。ただ、誰かが祭りを開くたびに、手数料の請求書だけを、きちんと発行する。

告知役も、告知しているつもりはない。YouTuber、インフルエンサー、有料コミュニティ。掲げる看板は「教育」だ。相場の見方、リスクの管理。画面の下には「投資助言ではありません」と流れる。その横で視聴者は、具体的な銘柄と、具体的なタイミングを受け取り、その通りに動く。告知役は告知していないと言い、視聴者は指示されていないと言う。誰も「祭りを主催した」と言わないまま、祭りは、規則正しく開かれる。

René Girard(ルネ・ジラール)は、人間の欲望は自前のものではない、と書いた。人は、対象そのものを欲するのではない。他人が欲しているものを欲する。欲望は、対象と自分を結ぶ直線ではなく、他人を経由する三角形を描く。この理屈で言えば、欲望の対象は、極端な話、何でもいい。他人たちが欲しがってさえいれば、石ころでも、犬の絵でも、欲望の宛先になれる。

この三角形は、金融市場に限られない。服は、布の性能だけで選ばれない。学歴も、そこで学べる内容だけで欲しがられるわけではない。新しいガジェットも、ボンボンドロップシールも、それを欲しがる他人の目を経由して、欲しいものになる。欲望は、対象の内側から湧くのではない。周囲の人間から、移ってくる。

既存の商品や制度は、この三角形の前に、買う理由の看板を立てる。服なら機能やデザイン、学歴なら能力の証明、ガジェットなら性能。金融商品なら、株には業績が、債券には金利が、不動産には土地がある。看板があるから、他人が欲しがるから欲しいのだとしても、自分の欲望は自前のものだと思っていられる。

ミームコインは、その看板を立てない。買う理由は、他人が買っていること。それだけが、堂々と、唯一の理由として提示される。Girardの三角形が、装飾を全部落とされて、チャートの形で画面に表示されている。

図1. 欲望の三角形——看板のある市場と、ない市場。筆者作成。

連載の第2回で、Ethereumを神官のいない神殿と書いた。神殿から神官を消したはずが、名前を失った神官たちがそこにいた、という話だった。ミームコインの祭りは、その逆を行く。誰も消えていない。群衆は最初から群衆のままで、隠すべき神官も、守るべき教義も、最初から持たない。神殿の系譜で言えば、これは堕落ではない。正直になりすぎた結果だ。

ただし、正直になりすぎた祭りにも、正直でない部分は残る。担ぎ手の全員が「中は空だ」と知っている、と書いたが、これは正確ではない。祭りが拡大し続けるためには、知らない参加者が、後から入ってくる必要がある。後から来た彼らは「これは何か本物かもしれない」と、うっすら信じたまま入ってくる。彼らの資金が、既に中にいる担ぎ手たちの利益になる。祭りは、その意味で、正直な担ぎ手たちと、まだ気づいていない後発の参加者の、二層構造で回っている。この明け透けな「正直さ」は、内側の層でだけ、成立している。外側の層にとって、その「正直さ」は、告げられていない。ここは、既存の金融市場と、実は同じ構造をしている。

信じることが、消えたわけではない。犬の価値を信じる代わりに、人は、次の買い手が現れることを信じていた。信仰の置き場所が、御神体から、次の群衆へ、移っただけだ。

3. 買われていたのは事件だった

次の買い手への信仰は、未来に向いている。では、空の神輿に金を払い、その未来を待つあいだ、人は何を手に入れていたのか。

値上がりの可能性だけではない。金を払った瞬間から、何かが起きている時間が始まる。

祭りが売っているのは、御神体ではない。非日常だ。今日が、昨日と違う日になること。カレンダーの上に、区別のつく一日が立つこと。

退屈とは、事件の不在だ。昨日と今日の区別がつかないこと。人は退屈の中で、楽しさを欲しているのではない。事件を欲している。今日を昨日から切り離してくれる何かを。そして事件であるためには、内容は、極端な話、何でもいい。良い知らせである必要すら、ない。朝の自分が、何も起きていない世界に落胆したように。

Roger Caillois(ロジェ・カイヨワ)は、人間の遊びを四種類に分けた。競争、偶然、模擬、そして眩暈。眩暈の遊びでは、勝ち負けや役割の模倣よりも、平衡感覚を一時的に壊すこと自体が、快楽になる。たとえば、ジェットコースター。回転ごっこ。それらには目的地はなく、子どもにも感じられる酩酊だけがある。ただ、知覚の安定が壊れるその一瞬に、快楽のすべてがある。日常の直線的な時間感覚を壊すことでリセットする。祭りが持ち込む熱狂も、この延長線にある。踊り、太鼓、酒、群衆。すべては眩暈のための装置だ。

ミームコインのチャートは、この系譜の末端に立っている。上下する数字を見ているうちに、時間感覚が壊れる。一時間が長く、一晩が短く、一週間が消える。市場に張り付いている間、その日のカレンダーは意味を失う。事件は、外から見れば、今日を昨日から切り離す。だが、その中に入った者にとっては、時計も曜日も溶けてしまう。祭りが果たしていた古い機能を、チャートは、より高い精度で、より安価に、24時間、供給する。

金融チャートはすべて、事件の製造装置だ。一日に何度でも、昨日と今日を区別してくれる。上がれば事件、下がれば事件。ミームコインのチャートは、その中でも最も出力の高い装置で、一時間で数十倍、一晩で無価値、という振れ幅が、通常の金融商品では味わえない密度で事件を供給する。眩暈の遊具として、これほど安価で、これほど手軽なものは、歴史上、そう多くない。

前々回、DAOの回で仮定を置いた。人間は、自分で決め続けることに耐えられない、というものだ。前回、トラストレスの回ではさらにもうひとつ仮定を書いた。人間は、確かめ続けることに耐えられない、というものだ。今回、新たに三つ目を並べる。

人間は、昨日と同じ今日に耐えられない、という仮定だ。

決めることと、確かめることには、耐えられない。同じであることにも、耐えられない。並べて眺めると、奇妙な生き物だ。だが、これらそれぞれの項目に異論を唱えるものは少ないだろう。労働からは逃げたいが、退屈も避けたい。ミームコインは、この二つが交差する場所に立っている。読むべき文書も、検討すべきテーゼもない。価値の根拠を決める必要も、確かめる必要もない。それでいて、事件だけは、最高の密度で供給される。ただし、目は、チャートに縛りつけられたままだ。買うか、売るか、今か、まだか——意味を考える負荷は最小で、注意を奪う力は最大の商品だ。意味を考えることからは逃れたいが、事件からは離れられない。人間のこの矛盾に対して、これほど正確に設計された商品を、自分は他に知らない。

設計された、と書いたが、正確ではない。誰も設計していない。無数の冗談が投げ込まれ、この形に合うものだけが生き残った。市場が、人間の形を彫り出した。

4. 手のひらの祭り

チャートは事件の製造装置だ、と前章で書いた。同じ働きをする装置は、金融の外側にも、無数にある。というより、それなしには一日を過ごせない、という状態に、いつの間にか、置かれている。

B. F. Skinner(バラス・スキナー)の行動実験では、動物が何回レバーを押せば餌が出るかを不規則にすると、押す行動が強く、長く続いた。次は一度で出るかもしれない。何度押しても出ないかもしれない。報酬が何回目に来るか読めないから、離れられない。「変動比率スケジュール」と呼ばれる、間欠強化の一種だ。スロットマシンは、この原理を機械にした。ほとんど外れる。稀に、予告なく、当たる。それが人間を、時間の感覚を失うほど、機械の前に留め置く。

同じ設計が、いま、手のひらの中に、いくつも並んでいる。タイムライン、通知、動画、市況。どれも、次に何が来るか分からず、指の一動作で次へ飛べる。人間は、スキナー箱を手のひらに収め、毎月、自分で通信料を払うようになった。手のひらに並んでいるものの正体は、末尾の補遺に置いた。

ミームコインのチャートは、この装置群の先端にある、最も出力の高い一台だ。特殊な逸脱ではない。事件経済という広い風景の、頂点だ。そして、その裾野は、犬の絵を一度も買わない人間の日常にまで広がっている。

これらを作った人間が、悪意でやっているわけではない。多くの場合、それは本当だ。「体験の向上」を目的に最適化した結果、たまたま、人間の脳の脆弱性に完全にフィットした。悪意より、最適化のほうが、ずっと恐ろしい。悪意には限度がある。最適化には、限度がない。

5. 祭りは終わるから祭りである

ミームコインの大半は、死ぬ。

これは欠陥ではない。仕様だ。事件は、続いた瞬間に日常になる。祭りは、終わるから祭りでいられる。昨日のミームは今日死ななければ、事件になれない。この市場は、供養を省略した祭りの連続で、忘れられることが、次の熱狂の燃料になっている。誰も昨日の犬の名前を覚えていない。覚えていないことを、誰も咎めない。忘却が、美徳ですらある。

Mikhail Bakhtin(ミハイル・バフチン)は、中世ヨーロッパのカーニバルを分析して、こう書いた。カーニバルは、日常の秩序が一時的に転倒する時空だ。王は乞食に、聖なるものは猥雑なものに、真面目は笑いに、階層は水平へ、すべてが裏返される。しかし、カーニバルは、必ず終わる。終わらなければならない。終わることを前提として、その一時的な転倒は許されている。永続する転倒は、もはやカーニバルではない。革命だ。カーニバルは、日常への回帰と対になって、初めて成立する。

ミームコインが更新したのは、この往復の速度だ。かつて日や季節の単位だった日常と非日常の往復を、チャートは一時間単位まで短縮した。前の祭りを忘れることが、そのまま次の祭りへの入口になる。

ここで、連載の第3回に書いた一行を、そのまま置き直す。

救済を売らなかった商品が、最も売れた。

ステーブルコインの回で、ドルの影について書いたときの一行だ。ステーブルコインは、救済——保有者を豊かにする物語——を売らず、機能を売った。だから売れた、という話だった。ミームコインは、その先にいる。救済を売らず、機能も売らない。売っているのは、事件だ。そして事件は、消えるという性質そのものによって、次の事件の需要を生む。この循環の中で、商品は永久機関のように、供給し続けられる。

自分の話に戻る。

第1章で、朝、何も起きていないことに落胆した、と書いた。あの落胆した自分は、この祭りの潜在的な客だ。ミームコインを買っていないのは、思想があるからではない。たまたま、「事件」を他の場所——ニュース、市況、仕事の通知——から仕入れているからにすぎない。仕入れ先が違うだけで、欲しているものは同じだ。昨日と違う今日。それが手に入るなら、器の中身は、正直、どうでもいい。

昨日、自分がスマホを開いた回数を、意識的に数えてみた。仕事のメールを見るため、地図を確認するため、翻訳するため、そういう明確な目的のあった回数は、片手で数えられる。それ以外の——ロック画面を見た瞬間に、ついでにニュース、ついでにタイムライン、ついでに市況、ついでにメール——回数を含めると、100回を超えていた。1日16時間の起きている時間の中で、平均すれば、1時間に6度ほど、指は画面に向かっていた。何を確かめていたのかと問われても、答えられない。何かが起きていないかを確かめていた、としか言えない。前章で書いた装置たちが、そのつど正確に、次の事件のかけらを供給していた。

それでも、自分は仕事をした。会話もした。食事もした。眠った。生活は、事件経済の中で、途切れることなく続いた。「事件」を受信した人間は、幸せか、と問われても、答えられない。ただ、事件がなければ耐えられない、ということだけは、体が知っている。ドーパミンがどうこう、報酬回路がどうこう……、そういう説明は正確なのだろうと思う。ただ、正確な説明を得たところで、朝いちばんに、スマホを取る手は止まらない。説明が行動を止めた瞬間を、自分は経験していない。

熱狂なしで生きられるほど、人間は強くない。少なくとも、自分は強くない。

そう認めたところで、ようやく、詰まった。書き出しで詰まらなかった理由が、ここまで書いて分かった。抵抗がなかったのは、対象が単純だからではない。自分が客だからだ。店の構造は、客がいちばんよく知っている。知っていることを、書きたくなかっただけだ。

おわりに——冗談だけが、正直だった

ミームコインを買う人間を、笑うことはできる。犬の絵に金を払い、次の日には忘れる。愚かに見える。

人は、偽った。発行者は売り抜け、告知役は告知していないと言い張った。後から入った者だけが、これは何か本物かもしれない、と信じていた。

偽らなかったのは、犬の絵の方だ。価値があるとは、書かれていない。革命だとも、未来だとも、書かれていない。冗談の顔をしたまま、冗談として売られた。この連載で見てきた商品は、多かれ少なかれ、看板を掲げていた。非中央集権。トラストレス。所有の革命。看板と実態の距離を測るのが、この連載の仕事だった。ミームコインだけが、測る距離を持たない。看板そのものが、最初から冗談の顔をしているからだ。

信じられていたのは、価値ではない。誰かが、もっと高く買う、それだけだった。人間は嘘をつき、犬は、嘘をつかなかった。

九つ目にして、いちばん軽い商品が、いちばん正直だった。この連載は、その事実の前で、少し長く立ち止まる。

次回で、この連載は終わる。九つの話を並べ直して、自分が何を書いてきたのかを、確かめに行く。

明日の朝、目が覚めて、体を起こす前に、指はまた画面に向かうだろう。ニュースを更新する。市況を見る。何も起きていないと、落胆する。犬の絵は買わない。買わないが、事件は、他の場所から、正確に仕入れる。仕入れ先が違うだけで、時間の底が、同じだけ抜けていく。

詰まったまま、先に進む。

連載「今更聞けないWeb3」第9回 / 全10回予定

補遺1——退屈は誰の資産になったか

本文で、手のひらに装置が並んでいる、と書いた。注意経済という言葉は、その装置が何をしているかを、半分だけ説明する。

SNSのタイムラインを下に引く。面白い投稿が並ぶ日もあれば、何もない日もある。通知の赤いバッジも、重要な連絡かもしれず、ただの広告かもしれない。開くまで分からない。不規則だから、指は何度でも画面に向かう。

動画も同じだ。YouTubeは次の推薦を用意し、TikTokは一つが終わる前に次を読み込む。Netflixの各話は、続きを見ずにはいられない場所で終わる。次に何が来るか分からないことと、指の一動作で次へ進めること。この二つが組み合わさると、時間の輪郭が溶ける。

注意経済は、人間の注意を集め、それを広告主へ売る産業だと説明される。正しい。だが、それだけでは、人が自分から装置を開く理由が残る。人は、ただ注意を奪われているのではない。事件のない時間から逃げるために、自分から注意を差し出している。

列に並ぶ数十秒。エレベーターを待つ十秒。会話が途切れた数秒。以前なら何も起きなかった時間に、指が画面へ向かう。装置が埋めているのは空白だ。代わりに届くのは、投稿、通知、ニュース、値動き——事件のかけらである。

Skinnerが20世紀半ばに示した学習の仕組みは、滞在時間、再生回数、開封率を最大化する装置の中で、繰り返し実装された。悪意ある設計者が一人いたわけではない。数字を改善する最適化が、離れられない形だけを選び続けた。

人間は退屈に耐えられないから装置を開いた。装置は、人間をさらに退屈に耐えられない身体へ作り替えた。需要が商品を呼び、商品が需要を深くした。

退屈は消えなかった。市場に接続された。時間の空白は、広告在庫になった。装置は退屈をなくしたのではない。退屈に耐えられない人間を作り、その人間に、次の事件を売った。

補遺2——市場は何を隠しているか

本文では、輪郭だけに触れて、通り過ぎた。ここでは、通り過ぎない。

図2. 市場が隠しているもの。筆者作成。

まず、既存市場の裸像だ。株には配当と請求権があり、債券には元利払いがある。ミームコインと同じではない。だが、その実体がどの価格で買われるかという地点まで来ると、既存市場も群衆の欲望を免れない。ファンダメンタルズが存在しても、価格形成から模倣的欲望は消えない。ミームコインは、その価格形成の裸像を、看板を外したまま拡大して見せた。

次に、主催しない主催者だ。取引所は祭りを開いていないと言い、告知役は告知していないと言い、視聴者は指示されていないと言う。それでも動員は成立し、価格は動き、手数料だけが発生する。全員が無実の顔をして、全員が役割を果たす。責任は、どこにも着地しない。着地しないように、できている。

そして、Jean Baudrillard(ジャン・ボードリヤール)である。彼が消費社会で見たのは、人が物の使用価値だけを買っているのではない、ということだった。服は身体を覆うだけでなく、誰であるかを示す。車は移動するだけでなく、地位を示す。商品は機能と交換価値に加えて、他人との差異を示す記号価値を持つ。

ミームコインにも、犬の絵がある。それを持つことは、犬を所有することではない。群衆の中にいること、早く気づいた側にいること、冗談を共有できる側にいることを示す。買われているのは画像ではなく、その画像を通じて割り当てられる位置だ。ここまでは、記号的消費の話で済む。

だが、Baudrillardが後にシミュレーションと呼んだものは、もう一段悪い。記号が現実を表すのではなく、記号やモデルが先に人の行動を決め、その結果として現実を作り始める。ミームコインでは、上がった価格が買う理由になり、その買いがさらに価格を上げる。チャートは市場を写す鏡ではない。群衆を呼び寄せる台本になる。

犬の絵には参照先がある。犬と、冗談と、インターネット文化。TRUMPコインも、人物と政治的事件を指している。参照先を持たないのは、絵ではない。価格の方だ。その価格が参照するべき価値の原型は、どこにもない。価格が指しているのは、次の価格だけである。

それでも、その価格は現実の金を動かし、ニュースを生み、群衆を集める。現実を写していなかった数字が、現実を作る。値段は価値の結果ではなく、価値があるように見えるための原因になる。現実よりも記号の方が現実らしく働く。Baudrillardがハイパーリアリティと呼んだ状態だ。

最後には、犬の絵より、値段の方が現実になる。シミュラークルが完成するのは、偽物が本物に見えたときではない。本物か偽物かを問うこと自体が、価格の運動に追い越されたときだ。犬は嘘をつかなかった。価格も、嘘をついてはいない。嘘をつくには、照らし合わせる現実が要る。価格には、最初からそれがなかった。

参考文献

  • René Girard『欲望の現象学——ロマンティークの虚偽とロマネスクの真実』(1961年)
  • Jean Baudrillard『消費社会の神話と構造』(1970年)
  • Jean Baudrillard『シミュラークルとシミュレーション』(1981年)
  • Roger Caillois『遊びと人間』(1958年)
  • Mikhail Bakhtin『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』(1965年)
  • B. F. Skinner『科学と人間行動』(1953年)

データ出典

本稿が扱った事実は、以下に依拠した。数値は変動するため、いずれも閲覧時点のもの。

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