ブロックチェーンという究極の中央集権型システム(前編)

おは養分!!! なまはげと申します。
普段はturingum(チューリンガム)という会社でEnigmaを中心に(そのほかのチェーンも含め)リサーチや開発をしています。

みなさんこのコロナ相場で息してますか? 私はコロナ相場より前にEnigma(ENGトークン)がSEC(証券取引委員会)にやられて暴落したので、お先に焼け死んで今は低みの見物です。

こうした相場になってくると「Bitcoinは避難資産だ」ということがしきりに言われるようになり、その一方で激しい暴落に見舞われ、2017~18年を彷彿とさせるような到底避難資産とは言い難いボラティリティに晒されています。

さて、こんな相場になってくるとBitcoinとはなんなのか、どんな特徴を持っているのかあんまりよくわからなくなってくるのではないでしょうか。また、Bitcoinをはじめとした技術領域で言われている「ブロックチェーン」というのがどんなものなのかよくわからなくなってきます。

この記事ではブロックチェーンというものに対して「権力」というスコープから考え、定義を与えてあげることによってブロックチェーンの本質というものを考えていきます。

目次
  1. ネットワーク的な分散性と権力的「非中央集権」
  2. 非中央集権だとシステムは立ち行かない
  3. ブロックチェーンは究極の「中央集権的システム」
  4. Internet ↔︎ BlockChain  文化的権力空間 ↔︎ 政治的権力空間
  5. ブロックチェーンという「抵抗」
  6. 後編について

ネットワーク的な分散性と権力的「非中央集権」

よくブロックチェーンはネットワークが分散しているから非中央集権的で安心だよ、という謳い文句があります。つまりここでは「ネットワークが分散している」→「非中央集権的である」という論理が成立しています。

ブロックチェーンにおいて「ネットワークが分散している」というのは明らかに正しいです。なぜならネットワークの分散性そのものがブロックチェーン自体の定義の一部をなしているからです。そしてこのネットワークの分散性というのはあるノード(参加者)が絶対的なハブを持たず他のノードと自由に通信できるということをさしています。

すなわち、分散性、というのはただのネットワークの外観的形の話に過ぎず、ある情報を伝達する経路の形に過ぎないのです。

一方で、非中央集”権”というのは全く異なるカテゴリーの話です。これは権力のお話です。権力というのは誰かに何かを強制したりそれを拒否できる権利のことだと考えましょう。ブロックチェーンでいうならばトークンの発行やシステムの管理権限、ブロックの生成承認などが権力に値する行動と考えられます。

ここで、中央集権・非中央集権とは権力の偏り方についての用語だと捉えることができます。例えば、中央集権というのはシステムに存在する権力のうち、価値が高いと思われる一部のカテゴリーの権力があるクラスタ(集団)に偏っていることと解釈できます。

仮に「ネットワークが分散している」→「非中央集権的である」という論理が正しいならば、情報を伝達する経路の形が権力の偏りを決定している、ということになります。

しかし、上記の権力の定義の通り、権力というのは質的なものです。すなわち権力のあり方は情報伝達の経路だけではなく、情報伝達の方式・伝達される情報の中身・その情報に対してノードが与えることができる影響など様々なファクターが絡んできます。

よって、「ネットワークが分散している」というだけでは「非中央集権的」と断言するには情報が不足しているのです。現に、ブロックチェーンにおいてもノードのネットワークが分散されているにも関わらず、重要な決定権をほんの少数のノードしか持たないチェーンは数多く存在しています。

それは到底「非中央集権」などとは言えないのです。

非中央集権性はノードの分散性だけでは定義できないより質的な概念なのです。誰がどのような情報をどのように通信し、どのように加工し、その形式についてどれだけの裁量を持っているか、といった情報の「通信・加工・裁量」に関する質的な情報が存在しないと権力分布の形式を決めることはできないのです。

次の節からは上記の議論を念頭に本当にブロックチェーンは非中央集権性を持ち得るのか、ということを考えていきます。

余談ですが、これらの言説のエクストリームなものとして「ネットワークが分散している」→「非中央集権的である」という論理に止まらず、「だから資産は安全に管理される」というまた別のスコープの結論があります。

もちろん、デタラメです。資産の安全性はまた別の技術的な情報を要求されるスコープなのでほぼほぼ詐欺めいた説明であり、そんな説明をする人はよくわかってないか詐欺師です。

非中央集権だとシステムは立ち行かない

さて、前節では「非中央集権」という言葉をなんの定義づけもせずに使っていましたがここできちんと定義してあげましょう。先ほど、中央集権を

    中央集権というのはシステムに存在する権力のうち、価値が高いと思われる一部のカテゴリーの権力があるクラスタ(集団)に偏っていること

と定義しました。なのでこれをひっくり返してあげましょう。

    非中央集権というのはシステムに存在する権力のうち、あらゆる権力が全ての参加者に平等に保たれていること

はい、できました。権力がそもそもどこにもないシステムは何も行動を起こすことができないのでそもそもシステムとして存在できません。だから、どこかに権力が存在しなければなりません。だからみんなが平等に権力をもつ、これが非中央集権です。

では非中央集権で成り立っているシステムを考えてみましょう。

そこでは自由に発言も行動もできます。ただし、そのシステムに対して影響を与える権利を得られるかどうかは同等の権力を持って自由に行動する他者との兼ね合いで決まります。他者との権力が同等であればあるほど、権利を賭けた闘争というのは激しくなり、どちらが勝ってどういう行動をするのか予見することは難しくなります。すなわち、システムとしてのまとまりを欠くことになります。

これは明らかに劣ったシステムです。次の挙動が予想できず、不安定なシステムです。

しかしブロックチェーンは(比較的)うまく動いているように見えます。次の状態はそれなりの精度で予想でき、安定しています。だから仮想通貨(暗号通貨)という資産が生まれます。

では、ブロックチェーン(今後は高度に分散化され、外部の権力にあまり影響を受けない理想的なパブリックチェーンを想定していきます)とはどんな権力構造を内包したシステムなのでしょうか。

ブロックチェーンは究極の「中央集権的システム」

結論から先に述べるとブロックチェーンというのは

参加者の権力を全て奪い取り、プログラミングコードそのものに完全に委ねることによってプログラミングコード以外の参加者が強制的に平等になるように設計されたシステム

です。ブロックチェーンにおいては全ての挙動がプログラミングコードによって規定されています。プログラミングコードは、ブロック生成・承認のアルゴリズム(PoWなど)や書き込む情報の方式、それがどのように伝播されるかの方式(P2Pであるということ)などありとあらゆる法則を規定しています。それに違反するような裁量は全ての参加者に対して原則として許されていません。

その規則を強制しているプログラミングコードという超越者をのぞいて、全ての参加者はシステムに対してあらゆる権力を持ちません。(実際にはマイニングプールの寡占・トークン保有の偏りにより超越者たるコードへの介入権限が生じるのですが、この話は後編で)

仮にプログラミングコードが強制している規則を破ったら単純に村八分にされるからです。(村八分にされた参加者が新たな村を作ること、それをハードフォークと呼ぶ)

それによって「仮に」プログラミングコードが限りなく中立的で透明な存在と仮定すると、プログラミングコード以外の参加者の権力を剥奪してコードに委任することによって平等になり、”擬似的な”非中央集権性が生まれることになります。プログラミングコードという超越者による強制的かつ完全な中央集権化こそ、ブロックチェーンの本質です。全員が権力を持たないで超越者たるプログラミングコードが中立であれば、そこに資産を生じさせても安心できる、というわけです。

すなわちブロックチェーンで言われている「非中央集権」とは擬似的なものであり、本質的には「無権力」であると言えます。

(かんぜんっに余談ですが、こうした背景から人間が権力を持つくらいなら自分を含めて全て投げ出してしまえ、という性質があるので、ビットコイナーといわれる人々は社会性が皆無な人ばかりなのかもしれません)

では、この「無権力」であるブロックチェーンは何が優れているのでしょうか。

Internet ↔︎ BlockChain  文化的権力空間 ↔︎ 政治的権力空間

「無権力」であること、超越者であるプログラミングコード以外の権力の一切を剥奪し、行為を強制させることがブロックチェーンの本質であると述べましたが、これは一体社会的には何を意味しているのでしょうか。

よく対比される既存のインターネットと比べてみましょう。これまでのインターネットは自由な空間です。誰かに何かを強制させるという構図は事前には存在していません。ただ、何かルールがないとシステムとしては成り立たないのでその意味で行為を強制する何らかの機構が要請されます。

そのための機構として二つの仕組みが考えられます

  1. インターネット外部の権力に依拠して強制力を持たせる(銀行のサービスやオークションサービスなどはこれに該当する)
  2. 行動そのものは強制できないので、「行動の様式」を定めてその様式によって構成された空間を作り出す。(インスタグラムなどのSNS)

純粋にインターネットで構成された空間を考える場合、2が重要になってきます。これらは行動そのものを強制する空間にはなりません。しかし行動の様式を定め、ユーザーをその様式のなかでふんわりとした強制力を持たせることができます。(ex. インスタ女子が美味しそうなパフェを目の前に写真を撮るのも様式に従ったものといえる)

このようにして構築された権力空間のことを「文化的権力空間」と呼びたいと思います。ここで強制されるのはあくまで「様式」に過ぎず、その境界線や対象は曖昧でその権力に従うか(あるいはどの程度従うか)どうかはユーザー側が決定する事項です。

一方でブロックチェーンはプロトコル空間内部に足を踏み入れたユーザーのありとあらゆる権力を剥奪し、プロトコル空間での振る舞いを強制させます。この「領域内部に入った構成員全てに対して振る舞いを強制させる」という絶対性において国家が定める法に近い性質があります。(法もまた、領域内の成員全てに対して一定の行動を強制する)その意味においてブロックチェーンが構築する権力空間は「政治的権力空間」と言えます。

この「政治的権力空間」としての性質を純粋なインターネット空間で行えることこそがブロックチェーンの社会的な特質であると言えます。

ブロックチェーンという「抵抗」

最後に、ナカモトサトシがBitcoinという新たな政治的空間で何をしたかったのか僕なりの見解を述べて前編を終わりたいと思います。

2008年のリーマンショックような危機は隠されていた構造を明らかにする契機となります。そこで明らかになったのは上からの権力による経済を立て直すという建前で行われた包括的な経済に対する支配であり、我々はそれに対抗する手段を持っていないという現実でした。

ナカモトサトシはこうした支配的状態(上からの権力によって局所解に押し込められ、身動きが取れない状態)からの抵抗を目指したのだと思います。

Bitcoinという空間は国家権力でさえ、プロトコル内部では権力を剥奪され、プロトコルに従わざるを得なくなります。このような仕組みは押し込められた局所解からの出口になります。

こうした抵抗そのものがいいことなのか、悪いことなのかは議論が別れるところですが、少なくとも自分は新しい可能性を切り開いたという点において素晴らしいことだと考えています。

後編について

後編ではこれらのブロックチェーンの定義や見方を用いてより具体的な話をしていきます。章立て(予定)としては

  • 「ワイブロ」について考える
  • DeFiとハッキング
  • ガバナンストークンは正義か
  • Bitcoinは何が良いのか Ethereumとの比較
  • 秘匿性はなぜ重要なのか
公開企業
企業名

チューリンガム株式会社

設立

2019年06月26日

資本金

150万円

本社所在地

東京都千代田区

代表者名

紅谷陽介

事業概要

包括的な秘匿計算プラットフォームであるEnigma Protocolを中心としたブロックチェーンに関する研究開発事業。

活動

包括的な秘匿計算が可能であるEnigma Protocolを用いて、世界中の人々がプライバシーを守られながら自由にクリプトやブロックチェーンを利用できる世界を創出します。

公開日時

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