通貨に国家という発行体は必要か?その2 ~ツケ払いで回り続けた経済~

前回のコラムでは、国家あるいはそれに準ずる社会的信用のもつ発行体の存在が、必ずしも通貨の不可欠な要件ではないのでは?ということの問題提起、また事例紹介を行いました。

前回の記事紹介
平安時代末期からおよそ400年使用されていた「渡来銭」。実はこのお金はビットコインと非常によく似た性質をもったものでした。 通貨に国家という発行体は必要か? ~「ビットコイン」のような通貨はかつても当たり前だった?~

第2回となるこのコラムでは、現代における事例を紹介すると共に、さらに通貨とは何か?という議論をしたいと思います。

アイルランドの銀行閉鎖

1970年5月、アイルランドでほぼ全ての銀行が閉鎖しました。人々や企業は現金をある程度確保していましたが、取引につれ、始めに硬貨、そして紙幣と、市場に流通する現金が不足していきました。そこで人々は「小切手」を利用した決済を行うことにしたのです。

小切手とは、小切手に記載されている金額の現金を銀行で受け取れ、当小切手の支払人(振出人)の口座からその現金が差し引かれるものです。

例えば、私がコンビニで150円のお茶を小切手を振り出して購入したとします。コンビニはその小切手を銀行に持っていけば現金150円を受け取れ、私の口座からは150円が引かれます。小切手決済とは簡単に言えば、ツケで支払いをし、そのツケ分の金額を記載した紙を相手に渡し、受け取る側は銀行に行けば紙を現金化することができる、という仕組みとなります。

初めて聞くと、不安定な取引形態と思うかもしれません。しかし即日銀行にて現金化できるため、小切手=現金として扱っても通常は大きな問題にはなりません。

ただ、当時のアイルランドにおける小切手決済では、以下を考慮する必要があります。

  1. 銀行システムが閉鎖しているので、小切手を現金化できる時期が不明
  2. 過去振り出した小切手が未清算のため、振出人(支払人)の銀行口座にある現金が、過去振り出した小切手の総額に対して、十分あるのかわからない

当時は、小切手が現金化できるメドが立たない上に、支払人の銀行口座にある現金の量や、どれくらいの小切手をすでに振り出しているのかも当然わからないため、仮に銀行が再開しても、口座以上の金額の小切手がすでに振り出されていて、現金化できない(不渡り)可能性がありました。

クレジットカードのように、カード会社が決済保証しているのと異なり、いわゆるツケ払いは、相手方の信用リスクを大きく背負うことになります。つまり、当時のアイルランドで小切手決済が成り立つには、小切手の受取人が、「いつか銀行が再開し、かつ再開したときにその小切手が不渡りにならない」ということを、自分で判断して信用する必要がありました。

また小切手の特徴として、自分が保有している他人が振り出した小切手を、裏書きして支払いの対価として使うこともできます。実はこれ(譲渡性)が通貨の本質を考える上での核心になるのですが、銀行に行けば現金化できる小切手は非常に換金性が高いため、他人が振り出した小切手を現金のように支払原資 として取引時に使用(譲渡)することができます。

なお裏書きとは、私がコンビニで小切手を振り出した例でいうと、コンビニがお茶を仕入れる際に、私が振り出した150円分の小切手で飲料メーカーに代金を支払うとします。その小切手にコンビニが裏書きすることで、飲料メーカーは、仮に私の小切手が不渡りになったとしても、裏書きしたコンビニに対して請求できるというものです。

この取引は小切手の譲渡(債権譲渡の一つ)となります。当時のアイルランドでも、小切手の譲渡による支払いも行われていました。

しかし、想像してみてください。あなたの手元には、知らない誰かの小切手がたくさんの裏書きと共にあふれています。これらの小切手は、銀行閉鎖のためいつまでたっても現金化できません。そこであなたは、これらを使って、あるいは自分の小切手を新たに振り出して、物を買います。つまり、本当に現金化できるのか曖昧な、小切手という名の紙切れで取引を行うのです。

銀行が閉鎖している以上、受け取る側も支払う側も各小切手の個別の信用リスク(不渡りにならないか?)を正確に判断していたとは思えません。想像するだけでも大惨事になりそうな状況でしたが、結論からいうと銀行が再開する1970年11月までの半年間、商取引、日常の取引含めてアイルランド経済に混乱は見られず、(薄氷の上であったでしょうが)健全に取引はすすみ、むしろこの間、経済は成長していました。

譲渡できる信用という通貨

現代の金融システムにおいて、アイルランドで起きた事例は非常に興味深いです。アイルランド固有の事情もあるでしょうが、社会全体が現金にアクセスできなくなり、収入や支出のほとんどが「信用」(ここでは小切手)によって行われた結果、「信用」そのものが通貨として扱われ、現金による「信用」の清算がなくとも経済は成り立っていました。

「信用」の単位は確かに法定通貨でした。しかし、法定通貨はあくまで経済的価値の物差しとしての役割 に過ぎず、取引で実際に現金を入手できるかどうかは問題ではなかったようです。現代のキャッシュレス決済ですら、結局は銀行預金あるいはカード会社による信用保 証を前提にしている一方、さらに先進的なキャッシュレス社会を6か月間体現していたことになります(正確には新たなプライベートマネーを作ったと言えます)。

これは、通貨とは何か?を考える上でとても重要なことです。「21世紀の貨幣論」の著者であるフェリックス・マーティンは、「通貨とは譲渡できる信用であり、①価値の単位を提供し、②取引から発生する債権債務を記録ができ、③譲渡可能であること、を体現した社会的技術である」と指摘しています。

債権・債務を測量・記録する物差し機能を持ち、その債権・債務を譲渡できるものが通貨としています。つまり、「全ての通貨は信用であるが、全ての信用が通貨とは限らない、その境目は譲渡性にある」ということです。これは、通貨がもたらす事象の1つに信用があるのではなく、信用がもたらす事象の1つが通貨ということになります。

この概念には、通貨の要素が「交換機能であり、貴金属に固定されるような絶対的な価値を代替したものである」といったことは必要としません。物々交換の延長で通貨が誕生した、などは経済学者しか主張しておらず、歴史学者から見ると物々交換から貨幣が誕生した証拠は一つもなく、むしろそうではなかったことを示唆する証拠はたくさんある、と前述のフェリックス・マーティンは紹介しています。

通貨の持つ経済的価値と信用創造

やや抽象的な話に入ったので、ここで整理します。現代の中央銀行制度及び銀行システムにおいても、通貨にアクセスできない状況に陥ると、銀行システムから民間の信用決済ネットワークへ自然と移行され、信用(小切手)が通貨の代替として機能していた例を紹介しました。そこから、通貨とは「譲渡できる信用」であるという考えが浮かび上がります。

この「譲渡性」が極めて重要で、その譲渡を受けいれる社会ネットワークにおいて、その信用は通貨として機能し得るということになります。もっといえば「日本円を持つ」とは日本円を使う社会ネットワークに対して、「円という単位で記録された債権を額面分持つ」と言い換えることができます。

その「日本円」という名の債権(信用)を譲渡することで、あなたはその社会ネットワークで物を買うことができるというわけです。ここには、国家という特定の発行体やそれによる価値の保証などは一切必要としていないことがわかります。大切なのは社会全体のネットワークなのです。

1971年に事実上金本位制が崩壊して以降、法定通貨に対して国が何らかの経済的価値を保証していることは一切なく、国家ですらその通貨の一利用者であるに過ぎません。私は通貨の価値とは、「決済手段として使われる取引量」と「他通貨交換の流動性」の2つで決まると仮定して、過去reports@cryptactで議論しました。

ヘッジファンド運用担当者による仮想通貨市場分析 ファンダメンタル分析から見るビットコイン相場|reports@cryptact
ヘッジファンド運用担当者が、現在の仮想通貨市場を分析。今回はファンダメンタル分析を中心に、高騰する仮想通貨市場を金融専門家からの視点で解説します。

これは通貨をモノではなく、ネットワーク(≒流動性)として捉えた価値評価を行っています。経済的価値が保証されていない通貨の価値は絶対的なものにはなり得ず、通貨の経済圏(ネットワーク)の比較こそが価値評価であると考えます。この手法は実は暗号資産の価値評価にも当てはめることができ、法定通貨と暗号資産の価値評価に本質的な違いは必要としないことを説きました。

通貨を「譲渡できる信用」と捉えると、経済的価値をその流動性(譲渡性)で評価することは 極めて自然です。一方で、その通貨の持つ「信用創造」の評価も必要になるでしょう。ここは今後の課題であり、次回以降で通貨の持つ「信用創造」について考察をしてみたいと思います。なお、ビットコインはむしろ通貨をモノとして捉えた貨幣観に基づいて創造されたと私は考えており、欠けている事があるとすればそれは機能面ではなく、その貨幣観からくる「信用創造」からの「債務危機」への対処法が限定される可能性だと考えています。

さて、通貨とは実際には「譲渡できる信用」から発生したものではないか?ということを説明しました。これは典型的な通貨に対する見方(「金や銀のような固定された標準を持つ一個の商品あるいはモノであり、交換機能やその価値を貯蔵するためのもの」)に対して別の見方を提供しています。

しかし、「見方を変えたところで、結局なんなの?何が変わるっていうの?」と思う方も多いと思います。

事実その通りで、前述のフェリックス・マーティンは従来の貨幣論を「鏡の国のアリスにおける、鏡の向こう側の世界」という表現を使っていましたが、実際のところ鏡の向こう側の世界であろうとも、(金本位制の崩壊まで)世界は回り続けていたのです。

実はこの見方の違いは、「信用創造」から発生する、通貨の負の側面、「債務危機」への対処方法において、初めてわかることになります。次回以降で触れたいと思います。

斎藤 岳 株式会社クリプタクト 代表取締役

2007年、ゴールドマン・サックス証券入社。

2010年、ゴールドマン・サックス・インベストメント・パートナーズで、ヘッジファンドマネージャーとして最大800億のポートフォリオの投資・運用を行う。2018年、ブロックチェーンやスマートコントラクトのテクノロジーに可能性を感じ、アミン、増田とともに株式会社クリプタクトを設立。2019年、株式会社クリプタクト代表取締役就任。

斎藤 岳( @Cryptact_gaku)

コメントしてBTCを貰おう