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「デジタルゴールドは半分ごまかし」Bitcoinの正体を3つの補助線で解剖|HHR連載「今更聞けないweb3」第1回

画像はShutterstockのライセンス許諾により使用

※本記事は、HashHub Researchの許諾を得てCoinPostに転載しています。 執筆者:ベランダチルボーイ 執筆日:2026/05/22

目次

  1. 告白
  2. まず、乱暴に分類してみる
  3. そもそも「価値」とは何か
    1. 紙切れが価値を持つ瞬間
    2. 余談だが——マルクスとポランニーのこと
    3. 共同幻想としての貨幣
  4. 第一の補助線——円やドルとの比較
    1. 一般的な説明
    2. 通貨への信頼が揺らいだ瞬間
    3. 「ルールを変えられる人間がいる」ということ
    4. Bitcoinは法定通貨への不信任票だ
  5. 第二の補助線——ゴールドとの比較
    1. 一般的な説明
    2. ゴールドは「ほぼ唯一無二」の物質だ
    3. マルクス的に見たBitcoinとゴールドの非対称性
    4. 「デジタルゴールド」は半分正しくて半分ごまかしだ
    5. ただし、保管と輸送ではBitcoinが優位
  6. 第三の補助線——Ethereumとの比較
    1. 一般的な説明
    2. Vitalikの言葉
    3. 「金の延べ棒」と「万能工場の土地」
    4. BitcoinとEthereumは答えようとしている問いが違う
  7. Bitcoinの出自について、少し毒を吐く
  8. では、なぜBitcoinは続いているのか
  9. 余談——人間は意味を求めてしまう
  10. おわりに——これは今時点の仮説に過ぎない
    1. 参考文献
    2. 次に読むなら
  11. 補遺——ゴールドの異常性について、もう少し深く
    1. 自然科学の側から——周期表とゴールドの必然性
    2. 自然科学の射程について——書き下せることと予測できることは別だ
    3. 人文科学の側から——コンキスタドールとインカの話
    4. 価値の起源は美しさにある——貝殻・銀・プラチナとの比較
    5. マルクス的な深掘り——ゴールドは労働価値説の教科書だ

告白

Bitcoin(ビットコイン)が何なのか、ちゃんと説明できたことがない。「デジタルな通貨でしょ」と言いかけて止まる。SuicaもPayPayもデジタルでお金のやり取りをしている。「いや、円をデジタルにしたものとは違うんだよ」と言いかけて、また止まる。本当にそうなのか。「価値の保存手段だ」と言いかけて止まる。それ、ゴールドでよくないか。毎回ここで詰まる。同じ場所で、毎回。

つまり、自分はわかってなかった。わかったふりをしていただけだった。

もう一つ、ずっと喉に引っかかっていた小骨がある。ゴールドには実体がある。触れる。溶かせる。叩いて延ばせる。指輪にも、金歯にも、神像にもなる。石油には用途がある。燃料になり、プラスチックになり、化学繊維になり、世界の産業を底から動かしている。どちらも「なぜ価値があるのか」と問えば、答えが返ってくる。

ではBitcoinはどうか。触れない。匂いもない。溶かせない。燃料にならない。原料にもならない。コードの上に存在する文字列、ただそれだけだ。それなのに、バブルとして消えていった無数の熱狂とは違って、十数年経った今も価格をつけ、世界中で取引され続けている。チューリップ球根のように消えなかった。仮想空間の土地のようにも消えなかった。あの違和感が、ずっと頭の片隅で鳴り続けていた。

この連載は、そのわからなさと正直に向き合うために書く。専門家が書けば三行で済む話を、素人が三十行も五十行も使って遠回りする。その遠回りに意味があると信じている。同じ場所で詰まっている人間に何かが届くとすれば、最短距離の説明ではなく、その遠回りの方なのだと思っている。

まず、乱暴に分類してみる

議論を始める前に、一枚の表を出しておきたい。

暗号資産・伝統資産の7分類(筆者による暫定分類)

図1. 暗号資産・伝統資産の7分類(筆者による暫定分類)。筆者作成

断っておくと、これは筆者が勝手に七つに分けただけのものだ。業界の公式分類でもなければ、定説でもない。ただ「何がどこに属するのかよくわからない」という濃霧のまま話を進めても、互いに消耗するだけだ。地図がない山に二人で入っても遭難するだけなので、とりあえずの地図として置いておく。

この表でまず注目して欲しいのは「一言で言うと」の列だ。「信じるから価値がある」「物理法則が保証する」「誰も変えられないルール」——並べてみると、価値の根拠が全部バラバラだとわかる。同じ「価値」という言葉でくくられているのに、その下にある根拠は別物だ。この違いこそが、この連載を通じて問い続けることの核心になる。

グレーになっている三行は今後の回で扱う。第1回の今は、Bitcoinだけを深く掘る。国家通貨・ゴールド・Ethereum(イーサリアム)の三つを鏡として使いながら。

そもそも「価値」とは何か

補助線を引く前に、一度だけ遠回りをさせてほしい。価値という概念そのものを整理しておかないと、後ですべての話が宙に浮く。

紙切れが価値を持つ瞬間

17世紀のオランダ。東インド会社は香辛料を求めて船を出していた。胡椒、肉桂、丁子、ナツメグ——アジアから持ち帰れば、ヨーロッパでは黄金のように売れた。ただし船は沈んだ。嵐で沈んだ。海賊に沈められた。一隻沈めば、出資者は全てを失った。

そのリスクを分散するために生まれた仕組みが、株式だった。「会社の未来を先買いする」という約束を、紙切れに書いて売った。船が無事に帰れば配当が出る。沈めば紙切れだけが残る。それでもオランダ人は熱狂し、アムステルダムの取引所は世界初の証券市場として動き出した。紙に書かれた約束に、人々は財産を賭けた。

同じ頃、ロンドンのテムズ川沿いにあったエドワード・ロイドのコーヒーハウスでは、船乗りや商人が集まって航海のリスクを賭け合っていた。「この船が無事に帰れば金を払う」「沈めば俺が補償する」。賭けが制度になり、制度が市場になった。これが海上保険の起源、そしてロイズ保険の始まりだ。

どちらも、紙に書かれた約束が「価値」を持った瞬間の話だ。香辛料でもなければ、金貨でもない。文字と署名。ただそれだけのものに、人々は財産を託した。

ではなぜ、見知らぬ他者が書いた紙切れを信じられるのか。Yuval Noah Harari(ユヴァル・ノア・ハラリ)は『サピエンス全史』でこう論じた。人間は虚構を共有することで、見知らぬ他者と大規模に協力できる唯一の動物だ、と。神も、国家も、貨幣も、人権も、株式会社も、全部「みんなが信じる」という行為によって成立している虚構だ。チンパンジーは虚構を共有できないから、150匹を超える集団を作れない。人間は虚構を共有できるから、地球の裏側にいる他人と取引できる。

この視点が、「価値とは何か」という問いへの、自分にとっていちばん腑に落ちる答えだ。

余談だが——マルクスとポランニーのこと

少しだけ寄り道をする。素人がweb3の入門記事で持ち出す名前ではないかもしれないが、書きたいので書く。

マルクスは価値を「労働」から説明しようとした。商品の価値は、それを作るために費やされた労働量によって決まる——これが労働価値説の骨子だ。19世紀の工業社会を見ていれば、これは説得力のある説明だった。職人が一週間かけて作った椅子と、機械工場が一日で量産する椅子。前者の方が高価なのは、労働量が多いから。シンプルで、わかりやすい。

ただ、現代の金融市場を見ていると、この説明はぐらつき始める。誰も労働していないデリバティブに兆単位の価値がつき、有名人が一言つぶやくだけでミームコインが暴騰する。労働は介在していない。価値は労働ではなく、合意によって決まっているように見える。労働価値説はもう古い、と言い切ってしまえば話は早い。だが、ゴールドに来るとマルクスは復活する。その話は後ほど。

もう一人、Karl Polanyi(カール・ポランニー)の『大転換』も頭から離れない。ポランニーは「市場経済は自然に生まれたのではなく、国家が意図的に設計した」と論じた。石炭から石油への転換もそうだ。本来なら、産業構造の大転換には猛烈な抵抗があるはずだ。馬車から鉄道への移行、蝋燭から電灯への移行——どれも既存の利害関係者を蹴散らさないと進まない。それでも石油は普及した。なぜか。アメリカとソ連の地政学的競争があり、中東産油国の台頭があり、両陣営が石油を戦略物資として組み込んだからだ。「石油に価値がある」という世界は、政治と資本が作り上げた。

価値は合意で決まる。しかしその合意は、権力と構造によって形成される。この視点を頭の片隅に置いてもらえると、後半の話が立体的に見えてくる。

共同幻想としての貨幣

現行の高校の国語の教科書の話をする。高校2年生が読む「論理国語」の教科書に、経済学者の浜矩子はこう書いた。「通貨の基本は認知であり、認識である。人が通貨だと信じるものは通貨であって、通貨だと認めないものは通貨ではない」(第一学習社 標準論理国語)。

教科書レベルの話だ。「今更」と思った人もいるかもしれない。ただ、この当たり前をもう一度だけ真剣に踏み直す。なぜなら、ここを本気で考え抜いた人間が、意外なほど少ないからだ。

吉本隆明は『共同幻想論』で、国家そのものが共同幻想だと論じた。共同体が機能するためには「共通の信じるもの」が必要であり、国家とはその信じるものを共有することで成立する虚構だ、というのが吉本の論旨だ。宗教が神という虚構を共有することで集団を束ねるように、国家という虚構が人々を束ね、社会を動かす。

ここから一歩踏み込む。法定通貨の後ろ盾は国家だ。国家という共同幻想の上に、法定通貨という虚構は乗っている。つまり法定通貨は、共同幻想の共同幻想だ。これは批判ではない。事実の記述だ。

そして決定的に重要なのは、この二重の共同幻想が「誰かがルールを変えられる」という構造の上に成り立っている、ということだ。神のルールは人間には変えられない。だから神は強い。法定通貨のルールは人間が変えられる。中央銀行が金利を動かし、政府が財政を操作し、危機があれば通貨を刷る。だから法定通貨は脆い。強さと脆さは、同じ一枚の紙の表と裏だ。

第一の補助線——円やドルとの比較

図1の一行目、「国家の約束」を見てほしい。「信じるから価値がある」と書いた。この意味を、もう少し掘り下げる。

一般的な説明

「Bitcoinは国家の管理から独立した通貨だ」というのが、よく聞く説明だ。間違ってはいない。間違ってはいないのだが、これを聞くたびに引っかかっていた。「国家の管理から独立している」と言うとき、そもそも国家通貨の管理とは何なのかを先に踏まえていないと、その「独立」の意味は宙に浮く。「自由」という言葉が、何からの自由かを言わなければ意味を持たないのと同じだ。何から独立しているのか。なぜ独立する必要があったのか。そこを先に潰しておきたい。

通貨への信頼が揺らいだ瞬間

1971年、アメリカは、金とドルの交換停止を発表した。いわゆるニクソン・ショックだ。それまでドルは、35ドル払えば1オンスのゴールドと交換できることが保証されていた。ブレトン・ウッズ体制と呼ばれる、戦後世界経済の土台だった。ドル札の裏には、フォートノックスに眠るゴールドがあった。物理的な裏付けがあった。

Richard Nixon(リチャード・ニクソン)の一声で、その紐は切られた。その日から、ドルは「アメリカ政府を信じるなら価値がある」という、ただの約束手形になった。世界中の通貨が連鎖的にドルに連動していたから、これは事実上、人類が初めて「何の物理的裏付けもない通貨」だけで世界経済を回し始めた瞬間でもあった。実験だった。今もその実験は続いている。

しかし、もっと鮮烈だったのは1997年のアジア通貨危機だ。タイバーツが投機筋の攻撃で暴落した。タイ政府は外貨準備を投入して通貨を守ろうとしたが、抵抗できなかった。波は韓国に、インドネシアに、マレーシアに、フィリピンに連鎖した。韓国ウォンは半値以下に。インドネシアルピアは八割を失った。スハルト政権が倒れた。タイでは中産階級が一夜にして貧困に転落した。インドネシアでは華僑系住民への暴動が起きた。あの夏、「アジアの奇跡」と呼ばれた経済成長物語は、ものの数ヶ月で崩壊した。

国家が通貨を守ろうとしても、大規模な資本の流れには抵抗できなかった。「国家が通貨を守る」という前提が、グローバル資本の前では幻想に過ぎないことが、衆人環視のもとで露わになった瞬間だった。国家は弱い。これがあの夏の教訓だった。

「ルールを変えられる人間がいる」ということ

国家通貨には明確な管理者がいる。日本円には日本銀行がいる。ドルにはFRB(Federal Reserve、連邦準備制度)がいる。ユーロにはECB(European Central Bank)がいる。彼らはお金の供給量を増やしたり減らしたりできる。金利を変え、市場にお金を流し込み、あるいは吸い上げる。

最近の例で言えば、コロナ禍だ。2020年から2021年にかけて、世界中の中央銀行が一斉に大規模な金融緩和に動いた。日銀もFRBもECBも、未曾有の規模でお金を刷った。経済の崩壊は防げたかもしれない。だがその後、世界中で物価が高騰した。アメリカでは卵が一ダース10ドルを超えた時期があった。ヨーロッパではエネルギー価格が二倍になった。日本でも、気づけば外食ランチが千円を超えるのが当たり前になった。刷ったツケは、必ず誰かが払う。多くの場合、それを払うのは末端の生活者だ。

この仕組みの根幹は「ルールを変えられる主体がいる」ということに尽きる。状況に応じて柔軟に対応できる。経済が崩壊しかけたら、お金を刷って助けることができる。それは確かに強みだ。だが裏を返せば、そのルールを変える人間を信頼できるかどうかに、全てがかかっている。中央銀行総裁の判断、政治家の意図、外圧、選挙——その全てが通貨の価値を揺らす。

Bitcoinは法定通貨への不信任票だ

自分には、Bitcoinは法定通貨への不信任票に見える。制度への信頼が揺らいだ人間たちが、別の根拠に乗り換えようとした、その最初の実験だ。

Bitcoinの発行ルールは、最初からプログラムの中に書き込まれている。総発行量は2,100万枚と決まっている。それは誰にも変えられない。「誰にも」というのは比喩ではない。変更を命令できる中央の管理者が、存在しないのだ。日銀総裁もいない。FRB議長もいない。CEOもいない。誰もいない。

Bitcoinのネットワークは、世界中に散らばった無数のコンピュータによって維持されている。ルールを変えたければ、そのネットワーク全体の合意が必要になる。数万、数十万のノードが「うん、変えよう」と一致して動かなければならない。現実的にはほぼ不可能だ。

つまりBitcoinとは、管理者への信頼を設計から排除した通貨だ。円やドルが「人間の判断を信じる」仕組みだとすれば、Bitcoinは「コードのルールを信じるしかない状態を作る」仕組みだ。信頼する対象が、人間からコードへと差し替えられた。ただ、正直に言うと、「コードを信じる」というのが何を意味するのか、自分にはまだ完全には腑に落ちていない。コードを書いたのも人間だ。コードを解釈するのも人間だ。ノードを動かしているのも人間だ。それでも、「ルールを変えられる人間が存在しない」という一点だけは、円やドルとは決定的に違う。差は小さく見えて、設計思想としては根本から違う。

第二の補助線——ゴールドとの比較

図1の二行目、「自然の希少性」を見てほしい。「物理法則が保証する」と書いた。ここが法定通貨との根本的な違いだ。

ゴールドとの比較

一般的な説明

「Bitcoinはデジタルゴールドだ」というのが、最もよく聞く説明の一つだ。確かにその通りではある——表面的には。ただ、この比喩を最初に聞いたとき、自分は別の問いに引き戻された。ゴールドはなぜ価値があるのか。これを先に問わないと、「デジタルゴールド」という言葉は、形容詞と名詞が並んでいるだけで何も説明していない。そして掘り下げていくほど、自分は逆の結論に向かっていった。Bitcoinごときがデジタルゴールドを名乗るのは、少し烏滸がましいんじゃないか、と。

ゴールドは「ほぼ唯一無二」の物質だ

結論から言う。ゴールドは自然科学的にも人文科学的にも、比類のない物質だ。

自然科学の側から見ると、ゴールドは元素番号79の金属だ。この番号は人間が勝手に振ったラベルではなく、原子核の陽子数そのものだ。物理量に名前をつけただけに過ぎない。そしてその79という数字から、必然として導かれる性質がある。錆びない。ほとんどの酸にも溶けない。加工しやすい。そして美しい——これは情緒の話ではなく、電子構造の特殊性から来る物理光学の話だ。安定・希少・加工可能・美しい、この四条件を同時に満たす元素は、周期表の中に他に見つからない。ゴールドのルールは宇宙が保証している。誰かが「今日からゴールドを2倍にする」と宣言しても意味がない。陽子79個の前では、人間の意思は無力だ。

人文科学の側から見ると、もっと不思議なことが起きている。ゴールドはアフリカでも、アジアでも、アメリカ大陸でも、互いに接触する以前から特別扱いされていた。文化も宗教も言語も全く違う集団が、互いに何も知らない状態で、独立して同じ結論に辿り着いた。「これは特別だ」と。その理由は突き詰めれば美しいからだ、と自分は思っている。輝きが永遠に失われない金属。それに惹かれなかった文化は、人類史上ほぼ存在しない。

そもそも、人類が価値を見出してきたものを遡ると、最初期はいつも「美しいもの」だった。タカラガイの貝殻は、アフリカ、アジア、アメリカ大陸で独立に貨幣として使われた。孔雀の羽根、装飾的な石、赤い顔料——どれも実用的な価値ではなく、美しさが交換の起点になった。価値の起源は美しさにある、と言っていい。人類は道具を作る前から、美しいものを集めていた。

その系譜の中で、ゴールドは最終的に残ったものだ。銀も通貨として広く使われた。江戸時代の日本は事実上の銀本位制だったし、古代地中海世界でも銀貨が主役だった時期がある。だがゴールドとの決定的な違いがある。銀は酸化する。空気に触れると黒ずむ。美しさが永続しない。人類史のスケールで見ると、最終的に「美しさの永続性」を持つゴールドが、他の貴金属を退けて価値の象徴として残った。

そしてBitcoinだ。文字列の列記には、美しさのかけらもない。貝殻の輝きも、ゴールドの黄金色も、何もない。価値の起源が「美しさ」にあるとするなら、Bitcoinはその系譜の外にいる。これは批判ではない。ただ、Bitcoinがゴールドと同じ棚に並べられない理由の、もう一つの根拠だ。

Harariが書いているように、十字軍の時代、神の名で殺し合っていたキリスト教徒とムスリムが、ゴールドの金貨だけは互いに受け取った。宗教が人を分断するところで、ゴールドは人を繋いだ。宇宙の物理法則が保証し、人類のあらゆる文化が独立に承認した——その二つを同時にやってのけた物質が、ゴールド以外にほぼ存在しない、ということの意味がここにある。

なお、HHR内でも平野淳也氏によるBitcoinとゴールドの詳細な比較分析が公開されている。数字と事実に基づいた精緻な論考なので、本稿と合わせて参照してほしい。

ゴールドの背景にある詳細——周期表の必然性、コンキスタドールとインカの話、マルクス的な分析——は、この記事の末尾に補遺として置いた。興味がある方はそちらを参照してほしい。

マルクス的に見たBitcoinとゴールドの非対称性

マルクスは価値を「使用価値」と「交換価値」に分けた。ゴールドはこの二つが一致している稀有な存在だ。装飾・電子部品・医療と、実際の使用価値がある。そして交換価値もある。

Bitcoinはその対極だ。使用価値はほぼゼロで、交換価値だけが存在する。装飾にも、歯の詰め物にも、電子回路にもならない。Bitcoinは文字列の列記でしかない。物質的な美しさは何もない。手に取って眺めて、光の反射に魅入られることもない。子に譲るときに、その重みを感じて渡すこともない。

マルクス的に言えば、Bitcoinは労働価値説の枠組みでは扱いにくい異物だ。むしろ「価値は労働や使用価値とは独立に、合意だけで成立しうる」ということを、Bitcoinは証明してしまった。これはマルクスへの反証として、思想史的に興味深い。ただし、それはゴールドと同じ棚に並べていいという話ではない。

「デジタルゴールド」は半分正しくて半分ごまかしだ

ゴールドとBitcoinの共通点は確かにある。どちらも希少で、偽造できず、分割でき、劣化しない。マイニングにコストがかかる点まで共通している。

でも決定的に違うのは、これまで書いてきた全てだ。ゴールドのルールは宇宙が保証している。Bitcoinのルールはコードが保証している。陽子79個と、文字列の列記。比べるのが失礼なくらいだ。ゴールドには使用価値がある。Bitcoinの使用価値はゼロだ。ゴールドは五千年かけて人類普遍の承認を得た。Bitcoinはまだ十数年で、承認しているのは「インターネットに繋がっている暗号資産を知っている人類」という偏った集団だ。「デジタルゴールド」ではなく、別の名前で呼ばれるべきだ。

ただし、保管と輸送ではBitcoinが優位

ここまで毒を吐き続けてきたが、フェアに言うと、ゴールドにも弱点はある。重い。そして重さは、国境を越えた瞬間に政治になる。2018年、ベネズエラがイギリスに預けていた31トンのゴールドの返還を求めた。だが、イギリス政府は事実上の拒否で対応した。マドゥロ政権を承認していないから、というのが表向きの理由だった。ゴールドはロンドンの金庫室に静かに眠ったまま、ベネズエラの政治危機を横目に見ていた。ドイツも2013年、アメリカに預けていた金塊の本国返還を求めたが、確認作業に数年を要し、難航した。ゴールドは物理的に存在するからこそ、誰かに預けなければならない。預ければ、預け先の意思に縛られる。物理的な重さが、そのまま政治的な従属になる。

Bitcoinにはそれがない。秘密鍵というパスワードさえあれば、どこからでも即座に動かせる。シリアから難民が逃げるとき、ゴールドは没収されうるが、頭の中の12個の単語(シードフレーズ)は没収できない。この一点においては、Bitcoinはゴールドを超えている。価値の保存というより、価値の移動という別の機能において、だが。Bitcoinは「デジタルゴールド」ではなく、「ゴールドが持っていない機能を一部だけ実装した、別物の資産」だ。長くて呼びにくいが、その方が誠実だ。

第三の補助線——Ethereumとの比較

図1の三行目と四行目を見てほしい。「コードの希少性」と「プログラム可能な土台」——同じ暗号資産でも、「一言で言うと」の内容が全然違う。これが今から話すことの核心だ。

一般的な説明

「BitcoinとEthereumはどちらも暗号資産だ」という説明で、両者は一緒くたにされることが多い。だがBitcoinとEthereumを同じ暗号資産として語るのは、包丁とフライパンを同じ調理器具として語るくらい雑だ。どちらもキッチンにあるが、用途が全く違う。設計思想が、そもそも違う。

Vitalikの言葉

ここで、EthereumのCo-founder(コー・ファウンダー、共同創業者)であるVitalik Buterin(ヴィタリック・ブテリン)が使った比喩を紹介したい。2019年のインタビューで、VitalikはBitcoinとEthereumの違いをこう説明した。「電卓は一つのことを、うまくこなす。でも人々は他のことをしたい。スマートフォンには電卓もアプリとして入っているし、音楽再生も、ウェブブラウザも、ほぼ何でもある。そのアイデア——システムをより汎用的にして機能を高める——をブロックチェーンに適用したのがEthereumだ」と。

Bitcoin=電卓、Ethereum=スマートフォン。わかりやすい比喩だ。機能の多寡という観点からは、的確だと思う。ただ、自分には少し違う絵が見える。

「金の延べ棒」と「万能工場の土地」

Bitcoinは金の延べ棒だ。金の延べ棒は、何かに使うものではない。延べ棒は「持っているもの」だ。価値を時間の外に逃がすための器。誰かに奪われないように、インフレで目減りしないように、価値を固形化して保存するためのもの。使いみちが「価値の保存」一点に絞られているから、余計なリスクが入り込む隙がない。シンプルさが強みになる設計だ。

Ethereumは、万能工場が建てられる土地だ。土地そのものに価値があるというより、その土地の上で何でも作れることに価値がある。スマートコントラクト——あらかじめ決めた条件が満たされれば自動で実行される契約プログラム——を動かすことができる。金融のアプリケーションが動き、デジタル資産が発行され、組織の意思決定システム(DAO)が走る。NFTもこの土地の上で発行される。ステーブルコインも、DeFiも、ここで動いている。

ただし土地には維持費がかかる。Ethereumのネットワーク上で何かを動かすたびに「ガス代」と呼ばれる手数料が発生する。高速道路の通行料に近い。ネットワークが混雑しているときは料金が上がり、空いているときは安くなる。その手数料はETH(Ethereumのコイン)で支払う。ETHの価値の根拠は、土地が実際に使われることへの「利用需要」にある。

Vitalikの「電卓とスマートフォン」は「機能の多寡」を見ている。本稿の「金の延べ棒と万能工場の土地」は「価値の源泉」を見ている。見ている角度が違う。どちらかが正しいというより、二つの軸が必要なのだ。この二つの視点を図にするとこうなる。

機能の汎用性と価値の源泉——二つの軸で見る4資産

図2. 機能の汎用性と価値の源泉——二つの軸で見る4資産。筆者作成

図の読み方を補足しておく。横軸は「機能の多寡」、縦軸は「価値の源泉」だ。ゴールドは左上——機能は最も少なく(装飾と保存しかできない)、価値の源泉は最も保存需要寄りだ(宇宙の物理法則が保証している)。Bitcoinは中央やや左上——ゴールドより少し機能が多く(デジタルで即座に移動できる)、保存需要寄りだが宇宙保証はない。Ethereumは中央やや右下——機能は最も多く(上に何でも乗せられる)、価値は利用需要に依存する(使われるほど価値が出る)。法定通貨はさらに右下——機能は多いが、価値の源泉は国家という「誰かが変えられるもの」に依存している。

ここで正直に言っておくと、Vitalikはweb3業界の現役の巨人だ。Bitcoinを電卓と呼び、Ethereumをスマートフォンと呼んだその切り方は、わかりやすく、機能の広さという観点では確かに正確だ。それに対して素人の自分が「でも、その軸だけでは見えないものがある」と言い返すのは、なかなかに分不相応な構図だと自分でも思っている。ただ、言い返さないと正直ではない、とも思っている。二つの軸が必要だ、という結論は変わらない。

この図は、連載の縦糸として使い続けるつもりだ。次回のEthereumの回でも、この図を引き戻す。同じ図を別の角度から見ると、また違うものが見えてくる。

BitcoinとEthereumは答えようとしている問いが違う

BitcoinとEthereumは、答えようとしている問いが最初から違う。Bitcoinが「価値をどう保存するか」を問い、Ethereumが「価値をどう動かすか」を問う。この違いは設計の細部ではなく、思想の根にある。前者は静の発想、後者は動の発想。前者は金庫を作る発想、後者は市場を作る発想。

Ethereumが多機能で便利だからBitcoinより優れている、という話ではない。金の延べ棒はフライパンより劣っているわけではない。用途が違うだけだ。両方が必要だ。どちらかしか持っていないキッチンは、不完全だ。

ただし、正直に言っておく。「万能工場の土地」という比喩は、今の自分にとっての暫定の言葉だ。次回、Ethereumを正面から扱うとき、この比喩は別の角度から見直すことになる。同じ対象に複数の比喩が必要になること自体が、Ethereumの掴みにくさを示している。Bitcoinは「金の延べ棒」という一つの比喩で腹に落ちる。Ethereumはそうはいかない。それもまた、両者の違いの一つだ。

Bitcoinの出自について、少し毒を吐く

ここまで割と真面目にBitcoinを論じてきたが、一つ正直に言っておくべきことがある。あまり綺麗な話ではないが、書かないと嘘になる。

Bitcoinは元々、表の世界で使われることを想定して設計されたわけではない。匿名性が高く、追跡が難しいその性質は、ダークウェブでの違法取引に重宝された。シルクロードという闇市場では、Bitcoinが主要な決済手段として使われていた。麻薬、武器、偽造書類、ハッキングサービス——法の外にある取引の潤滑油として、Bitcoinは最初の実用的な用途を見つけた。

同市場の創設者Ross Ulbricht(ロス・ウルブリヒト)は2013年に逮捕され、終身刑+40年の判決を言い渡された。仮釈放のない終身刑だった。ところが12年後、2025年1月、トランプ大統領は就任二日目に彼を恩赦で釈放した。リバタリアンとクリプト業界の支持を取り付けるための政治的決断だった。麻薬を売って数百万ドルを稼ぎ、暗殺依頼まで疑われた男が、Bitcoinコミュニティの英雄として帰還した。これがBitcoinの出自であり、現在地だ。綺麗に書こうとすると嘘になる。

これを書くのは、Bitcoinを貶めるためではない。ただ「自由な通貨」「制度への不信任票」という崇高な物語だけで語るのは、少し綺麗すぎる気がしている。現実には、制度への不信任を抱えた人々と、法の外で動きたい人々と、純粋に技術的な可能性に賭けた人々が、同じ場所に集まっていた。リバタリアン、サイファーパンク、麻薬密売人、ハッカー、若き起業家、陰謀論者。混沌とした出発点だった。その混濁した坩堝の中から、今のBitcoinは生まれた。

そしてもう一つ、構造主義的に見ると皮肉な事実がある。「誰にも管理されない通貨」として生まれたBitcoinは、今やBlackRockのETFに組み込まれ、機関投資家のバランスシートに乗り、アメリカ政府が戦略的準備資産として検討している。国家から逃れようとしたものが、国家と資本に吸収されていく。Satoshi Nakamoto(サトシ・ナカモト)が想定していた未来とは、おそらく違う未来が来ている。

ここでPolanyiが戻ってくる。石油がアメリカとソ連の地政学的競争によって「価値あるもの」として設計されたように、Bitcoinもまた、国家と資本に回収されることで「価値あるもの」として設計されつつある。あらゆる「反体制的なもの」は、時間をかけて体制に回収される。パンクロックはレコード会社に契約され、ヒッピーカルチャーはファッションになり、サイケデリック・ロックはCM音楽になった。革命的なものは、必ず商品化される。Polanyiが見たら、おそらく笑うだろう。あるいは、肩をすくめるだろう。

だからといってBitcoinが無意味だとは思わない。ただ、「脱中央集権」という物語を額面通りに受け取れるほど、自分はもう若くない。物語は売れる。現実は売れない。だから物語が先に走る。それを承知の上で、それでもBitcoinを面白いと思う、というのが今の自分の立ち位置だ。

では、なぜBitcoinは続いているのか

ここまで三本の補助線を引き、出自についても少し毒を吐いた。整理しておこう。Bitcoinとは——管理者への信頼を設計から排除した通貨であり、自然ではなくコードを価値の根拠とし、使われることではなく持たれることに意味がある資産だ。そしてその出発点は、必ずしも清廉ではなかった。

三本の補助線から見えてきたものを、一度束ねておきたい。国家通貨との比較から見れば、Bitcoinは「管理者への信頼を設計から排除した実験」だ。ゴールドとの比較から見れば、「自然が保証するものへの代替を、人間がコードで試みた挑戦」だ。Ethereumとの比較から見れば、「価値を動かすのではなく、価値を固定しようとした意志」だ。三つともバラバラに見えるが、根は一つだ。「信じる対象を、人間から別の何かに差し替えたい」という欲望。神から国家へ、国家からコードへ。信頼の宛先がズレ続けてきた人類の歴史の中で、Bitcoinはその最新の一手だ。

なぜBitcoinは、一過性の熱狂として消えなかったのか。ゴールドには数千年の歴史と人類普遍の評価がある。石油には産業の根幹という用途がある。円やドルには国家の強制力がある。Bitcoinには、そのどれもない。それでも続いている。十数年経っても、消えていない。何度も「終わった」と言われた。MtGoxの破綻、シルクロードの摘発、中国のマイニング禁止、FTXの崩壊。そのたびに「これでBitcoinは終わった」と言われた。それでも、消えなかった。

Harariが言うように、人間は虚構を共有することで見知らぬ他者と協力できる。国家という虚構が円やドルを生んだように、「コードは信頼できる」という虚構がBitcoinを生んだのかもしれない。

ただ、それだけでは説明しきれない何かが残る。

法定通貨を心から信頼している人間が、世界にどれほどいるのか。アルゼンチンでは年率200%を超えるインフレに耐えかね、人々が手持ちのペソをドルに変え、ドルが買えない者はUSDTに変える。トルコではリラが信用を失い、若者の貯蓄が暗号資産口座に流れ込む。レバノンでは銀行が預金引き出しを制限し、人々は金庫の代わりにハードウェアウォレットを買う。ナイジェリアでは中央銀行がCBDC(中央銀行デジタル通貨)を発行したが、誰も使わず、市民はBitcoinとUSDTで取引を続けている。「自国の通貨を無条件には信じられない」という、薄く、しかし消えない感覚。Bitcoinはその隙間に入り込んだ。

「初期微動」という言い方が自分にはいちばんしっくりくる。地震が来る前、最初に揺れる小さなP波。建物を壊すほどの揺れではない。多くの人は気づかずにすれ違う。だが地震計はそれを捉える。本震がいつ来るかはわからない。来ないかもしれない。ただ、針は振れた。Bitcoinは、その地震計の針が振れた最初の瞬間だ、と自分は見ている。

虚構であると知りながら、それでも一時的な構造として認めるしかなくなった——というのが、Bitcoinが今なお続いている理由の、少なくとも一部だと思っている。「これは消える」と言い続けてきた人々が、いつまで経っても消えないBitcoinを前に、最後には黙る。「まあ、続いているのは事実だな」と。これは降参だ。ただし、降参したからといって問いが消えるわけではない。なぜ消えないのかを問い続けることと、続いているという事実を認めることは、両立する。むしろその緊張の中にこそ、考える価値がある。

少なくとも今の自分には、Bitcoinは「法定通貨への不信任票」に見える。新しい価値を生んだというより、「誰を信じるか」を変えただけだ。ただ、そこで終わると「結局バブルと同じじゃないか」という問いが残る。共同幻想であれば、信じる人間がいなくなった瞬間に消える。チューリップ球根のように。南海泡沫事件のように。ではなぜBitcoinは何度も「終わった」と言われながら消えなかったのか。バブルと神話を分けるものは、何なのか。その問いは、次回以降に持ち越す。

余談——人間は意味を求めてしまう

最後に、もう一つだけ寄り道する。なぜ人間は、こんな虚構に真剣に向き合えてしまうのか、という問いだ。

Friedrich Nietzsche(フリードリヒ・ニーチェ)は『道徳の系譜』で、人間は意味を求めてしまう生き物だ、と書いた。苦しみそのものに人間は耐えられる。耐えられないのは、意味のない苦しみだけだ。だから人間は、自分の苦しみに意味を与えるためなら、どんな虚構でも信じる。「人間は、何かを意志しないでいるくらいなら、むしろ虚無を意志する」——これが『道徳の系譜』の結末近くに刻まれた、有名な一文だ。

神が死んだ後も、人間は何かを信じずにはいられなかった。空白には耐えられなかった。だから別の虚構を立ち上げた。20世紀には進歩と科学が、共産主義と自由主義が、その役を引き受けた。21世紀の今、その系譜にBitcoinがある、と自分は見ている。法定通貨という共同幻想が揺らいだとき、人間は次の信仰先を探した。コードという、人間ではない何かに信頼を託せるかもしれない、と。

これを愚かだと言うのは簡単だ。実際、自分も時々そう思う。文字列の列記でしかないものに、世界中の人間が真剣に向き合っている。冷静に見れば、滑稽ですらある。ただ、愚かだと切り捨てて終われる話でもない。なぜなら、人間が虚構に意味を求めてしまうという性質こそが、株式会社を生み、国家を生み、宗教を生み、文明を作ってきたからだ。Bitcoinへの真剣さは、ファラオがゴールドを神として祀った真剣さと、本質的には地続きだ。愚かでありながら、その愚かさが人類を人類たらしめている。

つまり、自分たちはそういう種なのだ。意味を求めてしまう種。虚構を本気で信じてしまう種。ファラオは黄金に意味を見出して死んだ。我々もBitcoinに意味を見出して死ぬのかもしれない。それを愚かと笑える立場など、人類のどこにもない。我々は皆、何らかの虚構に乗って生きて、虚構を抱いて死ぬ。

おわりに——これは今時点の仮説に過ぎない

素人には一つだけ特権がある。「知っているふりをしなくていい」ことだ。この記事で書いたことは、web3の素人が、哲学・経済史・文化人類学・自然科学といった他の領域の知識を総動員して、Bitcoinという対象を自分なりに再配置しようとした試みだ。専門家から見れば荒削りな部分も多いだろうし、この見立ては今後の学習と対話の中で変わるかもしれない。むしろ変わることを期待している。仮説は更新されるためにある。

この連載では今後、Ethereum、ステーブルコイン、NFT、DeFi、RWAと順に扱っていく。そしてある段階で、HHRのリサーチャー陣との対談を予定している。専門家の視点と素人の問いがぶつかったとき、自分の仮説がどう変わるのか——それ自体を一つのコンテンツにするつもりだ。

わかった気では終わらせない。わからないと言えるまでやる。それだけだ。遠回りを続ける。早道はしない。

次回はEthereumを扱う。Bitcoinが「価値をどう保存するか」を問うた通貨だとすれば、Ethereumは「価値をどう動かすか」を問うた土台だ。万能工場の土地、と本文で書いたあれを、もう少し手で触れる形にほぐしていきたい。スマートコントラクト、ガス代、DAO、DeFi——わからない言葉が並んでいる時点で、自分もまた詰まる。詰まりながら書く。それでいい。

補遺——ゴールドの異常性について、もう少し深く

本文では「ゴールドは自然科学的にも人文科学的にも比類のない物質だ」と結論した。ここではその根拠を掘り下げる。本文を読んだだけで論旨は理解できるが、「なぜそう言えるのか」をもっと知りたい方向けの深掘りだ。

自然科学の側から——周期表とゴールドの必然性

ゴールドが元素番号79だということは、人間が79番目に発見したという話ではない。原子核に含まれる陽子の数が79個だということだ。これは物理量そのものだ。

1869年、ロシアの化学者Dmitri Mendeleev(ドミトリ・メンデレーエフ)は元素を原子量の順に並べて、性質が周期的に繰り返すことを発見した。彼がやったのは単なる分類ではなかった。周期表にいくつもの空欄を残し、「ここに入る未発見の元素は、こういう性質を持つはずだ」と予言した。エカ・アルミニウム、エカ・ケイ素、エカ・ホウ素——彼が予言した元素は後にガリウム、ゲルマニウム、スカンジウムとして発見され、比重も融点も反応性も、ほぼ言い当てていた。人為的な分類なら、未発見の元素を予言などできない。Mendeleevが空欄を埋められたのは、自然の構造を写し取っていたからだ。発明ではなく、発見だった。

20世紀初頭、イギリスのHenry Moseley(ヘンリー・モーズリー)がX線分光によって決定打を打った。原子番号は、原子核の陽子数と一致する——「並べたら美しい順番」ではなく、「物理的に決定された量」だったのだ。Moseleyはこの発見の直後、第一次大戦のガリポリ戦線で27歳で戦死した。彼が生きていれば、おそらくノーベル賞だった。

周期表は、人類が滅びて別の知的生命体が一から科学を作り直しても、ほぼ同じ形に辿り着くものの一つだ。表記は違う。呼び名も変わる。だが「陽子数で元素を整理する」「電子の埋まり方で周期性が現れる」という構造的事実は、宇宙のどこでも同じ場所に現れる。ユークリッド幾何学やπと同じカテゴリーの「発見」だ。

その周期表の79番目に位置するゴールドの性質は、この位置から必然として導かれる。

錆びない。空気にも水にも反応しない。ほとんどの酸にも溶けない(王水という特殊な混合酸でしか溶けない)。古代エジプトのファラオの墓から出てくる金細工は、三千年経った今でも磨けば輝く。鉄なら錆びる。銀なら黒ずむ。銅なら緑青がふく。ゴールドは、ただ眠っていただけのように出てくる。

加工しやすい。延性と展性が異常に高く、1グラムのゴールドは数百メートルの線に伸ばせる。髪の毛の数十分の一の薄さの箔に叩き伸ばせる。それでいて自然界では極めて希少で、人類史上掘り出されてきたゴールドを全部集めても、オリンピックの競技用プール3.5杯分にしかならない(World Gold Councilの推計で約19万トン)。一辺22メートルの立方体に収まる。

そして、美しい。これは情緒ではなく物理光学の話だ。多くの金属は可視光をほぼ均等に反射するから銀色に見える。ゴールドは原子の電子構造が特殊で、可視光のうち青い波長を吸収する。残った光が黄金色に輝く。これは「相対論的効果」——原子番号が大きい元素特有の物理現象だ。ゴールドの電子は核の周りをほぼ光速で回っているため、アインシュタインの相対性理論の効果が現れる。人類はこの輝きを五千年前から拝んでいた。物理が後から追いついただけだ。理由を知る前に、人類はすでに屈服していた。

安定・希少・加工可能・美しい。この四条件を同時に満たす元素は、周期表の中に他に見つからない。プラチナは近いが、加工と希少性のバランスが違う。銀は錆びる。銅も錆びる。鉄は論外だ。

自然科学の射程について——書き下せることと予測できることは別だ

さらに、もう少し寄り道する。自然科学が物質をどう扱っているか、という話だ。専門用語が出てくるが、わからなければ飛ばして次へ。

物理は場と力で世界を記述する。重力場、電磁場、強い力、弱い力——この四つの相互作用で、宇宙のかなりの部分は記述できる。化学は陽子と電子の振る舞いで物質を記述する。この二つの枠組みで、物質の状態についてはほぼ全てが書き下せる。

ただし「書き下せる」と「予測できる」は別だ。流体方程式は書けるが、乱流の挙動は完全には予測できない。気象方程式は書けるが、二週間先の天気は読み切れない。三体問題は厳密解を持たない。書き下せる世界の中にも、計算しきれない領域は無数にある。それでも「世界は第一原理に支配されている」という確信が、自然科学の足場になっている。

生物はまだここまで言えない。複雑系で創発があり、第一原理から細胞の振る舞いを書き下すには人類はまだ早い。現代数学は逆方向で、抽象に飛びすぎて物質という具体には降りてこない。だからゴールドの議論には、物理と化学だけで足りる。

物理と化学が書き下せる世界の中で、ゴールドは「他のどの元素でもない」という結論を導く。乱流のように「シンプルな方程式が複雑な現象を生む」のとは逆に、ゴールドの場合はシンプルな方程式がシンプルに、ゴールドだけを選び出す。

人文科学の側から——コンキスタドールとインカの話

本文でHarariの十字軍の話を引いたが、同じ人類学的奇跡はアメリカ大陸でも起きていた。

Jared Diamond(ジャレド・ダイアモンド)の『銃・病原菌・鉄』が記録しているように、コロンブス以後のヨーロッパ人がアメリカ大陸を征服した動機の中心には、常にゴールドへの執着があった。コルテスはアステカを滅ぼし、モンテスマ二世のゴールドを溶かしてスペインに送った。ピサロはインカ皇帝アタワルパを捕らえ、巨大な部屋いっぱいの黄金を身代金として要求した。アタワルパは要求を満たしたが、ピサロは約束を破って処刑した。

重要なのはここだ。インカもアステカも、ユーラシア大陸とは何千年も切り離されて独立に進化した文明だった。それなのに、両者ともゴールドを神聖視していた。征服者と被征服者が、別々の大陸で別々の歴史を経て、同じ金属を巡って衝突した。文化的接触のはるか以前から、両者は独立にゴールドに価値を見出していた。これが人類学的奇跡だ。

インドの寺院にも同じことが言える。ティルパティ寺院だけで数百トンの金保有があると言われる。シルクは中国でしか作れなかった。茶も香辛料も、伝播のプロセスを経て認知された。ゴールドだけが、伝播を経ずに、独立に、同時多発的に「価値あるもの」として承認された。

価値の起源は美しさにある——貝殻・銀・プラチナとの比較

本文で「原始の人類が価値を見出したものはいつも美しいものだった」と書いた。その根拠を補足する。

人類が最初に「通貨」として使ったもののひとつが貝殻だ。タカラガイ(宝貝)はアフリカ東部、南アジア、中国、東南アジア、さらにはアメリカ大陸の一部でも、交換の媒体として独立に使われた。互いに接触していなかった文明が、同じ貝殻を価値あるものとして扱った。なぜか。光沢があり、滑らかで、形が均一で、美しかったからだ。食べられない。燃料にならない。武器にもならない。それでも人間はこれを集め、蓄え、交換した。価値の起源は美しさにある、という仮説を、貝殻は強く支持している。

孔雀の羽根、鮮やかな色の石、赤い顔料——原始の人類が価値を見出してきたものを遡ると、実用性より美しさが先に来ている。道具を作る能力と、美しいものを集める欲望は、ほぼ同時に人類に宿った。

銀はゴールドの最大のライバルだった。実際、歴史上の多くの場面で銀はゴールドを凌ぐ実用的な通貨として機能した。古代ギリシャのドラクマは銀貨だった。ローマ帝国のデナリウスも銀貨だった。江戸時代の日本は事実上の銀本位制で、大坂の商人たちは銀建てで取引していた。メキシコのペソも中国の両も、長らく銀が基準だった。なぜ銀がゴールドを抜けなかったのか。答えは一言で言える。銀は酸化する。空気に触れると硫化銀が生じ、黒ずむ。時間が経つと輝きが失われる。美しさが永続しない。ゴールドの四条件——安定・希少・加工可能・美しい——のうち、「安定」という一点で銀はゴールドに及ばなかった。

プラチナはゴールドに最も近い物理化学的性質を持つ。錆びない。希少だ。美しい。なのになぜ、ゴールドの座を奪えなかったのか。答えは融点だ。プラチナの融点は約1768℃。ゴールドの融点は約1064℃。古代の技術では、プラチナを溶かして加工することがほぼ不可能だった。スペインの征服者がコロンビアのプラチナ鉱床を発見したとき、彼らはこれを「platina del Pinto(ピント川の小さな銀)」と呼んで川に捨てた。ゴールドではないと判断して、文字通り廃棄した。プラチナが欧州で本格的に認知されたのは18世紀になってからで、工業的に活用されるのはさらに後の話だ。四条件のうち「加工可能」という一点が欠けたことで、プラチナは人類史の大半の時間を「存在するが価値を持てない金属」として過ごした。

安定・希少・加工可能・美しい。この四条件を、人類が道具を持った最初期から揃えていた金属はゴールドだけだ。銀は安定性で劣った。プラチナは加工可能性で劣った。貝殻は安定性と希少性で劣った(海岸近くでは大量に拾えた)。ゴールドだけが、人類の技術水準がどの段階であっても、どの地理にいても、「これは価値がある」と判定できる条件を最初から持っていた。

そしてBitcoinには、この系譜のどこにも居場所がない。貝殻の光沢も、銀の輝きも、ゴールドの黄金色も持たない。美しさを起源とする価値の系譜の、完全な圏外にいる。これは欠点ではなく、単なる事実だ。ただ、「デジタルゴールド」という呼び名がいかに的外れかを、この系譜は静かに示している。

マルクス的な深掘り——ゴールドは労働価値説の教科書だ

本文でマルクスの使用価値/交換価値に触れたが、労働価値説の側も補足しておく。

ゴールドの採掘には膨大な労働が必要だ。古代から現代まで、人間は山を削り、川を浚い、地底深くに穴を掘り、毒性の高い水銀やシアン化合物を使ってまでゴールドを取り出してきた。南アフリカの金鉱山は地下4キロまで掘られている。地球上で最も深い人工の穴の一つだ。1グラムのゴールドの背後には、何トンもの岩石を砕いた労働がある。「価値は労働に宿る」というマルクスのテーゼを、ゴールドはほとんど教科書通りに体現している。

対してBitcoinのマイニングはどうか。電力と計算資源を消費するという点では似ている。だが、ハッシュ関数の計算を延々と繰り返すだけで、その計算自体は何も生み出していない。「この値より小さいハッシュ値を出した人が勝ち」というルールのもとで、サイコロを延々と振っているに近い。ゴールドの採掘は「自然界に存在するものを採取する」という意味を持つ。Bitcoinのマイニングは「電気を熱に変えながら、計算競争に勝った者にトークンを与える」というルールを動かしているだけだ。地球を温める以外、何も生み出していない。

マルクスがBitcoinを見たら、何と言っただろうか。おそらく沈黙しただろう、と思う。彼の枠組みでは、処理できない。

連載「今更聞けないweb3」第1回 / 全10回予定

参考文献

  • ・Vitalik Buterin, Business Insider インタビュー(2019年2月28日公開)
  • ・浜矩子『通貨の正体』(2019年)
  • ・Yuval Noah Harari『サピエンス全史』(2011年)
  • ・Jared Diamond『銃・病原菌・鉄』(1997年)
  • ・Friedrich Nietzsche『道徳の系譜』(1887年)
  • ・吉本隆明『共同幻想論』(1968年)
  • ・Karl Polanyi『大転換』(1944年)

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