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イーサリアムはなぜ別物なのか——『プログラムできる都市』が抱えた神官のいない神殿|HHR連載「今更聞けないweb3」第2回

画像はShutterstockのライセンス許諾により使用

※本記事は、HashHub Researchの許諾を得てCoinPostに転載しています。 執筆者:ベランダチルボーイ 執筆日:2026/05/29

目次

  1. 告白
  2. 人類は信用をどこに置いてきたか
    1. 「信用」が移動する瞬間
    2. もう一つの補助線——Polanyi
  3. 「コードを信じる」という奇妙さ
  4. 「ほとんど既存技術で出来る」問題
  5. 「夢の技術」ではない
  6. コードより人間が勝った日——The DAO事件
  7. 神話は消えない
  8. おわりに——神官のいない神殿
    1. 参考文献
    2. 次に読むなら

連載「今更聞けないWeb3」第2回

告白

スマートコントラクト、ガス代、DAO、DeFi——わからない言葉だけが並んでいる時点で、自分もまた詰まる。高校の古文の授業を思い出す。未然、連用、終止、連体。

前回、Bitcoin(ビットコイン)について書いた。書き終えたとき、少しだけわかった気になった。金の延べ棒だ、法定通貨への不信任票だ、初期微動だ——そう言い切れば、輪郭は見えた。Ethereum(イーサリアム)についても、同じ回で「万能工場の土地」という比喩を使って、Bitcoinとの違いを機能の広さという軸で整理した。

ところが今回、Ethereumを主役として向き合ってみると、その比喩では届かない部分があると気付いた。何でも乗せられる万能工場の土地、という説明は機能の広さを示すには有効だ。だが、なぜその土地が必要とされたのか、という問いには答えていない。機能の広さではなく、信用の構造——今回はその角度からEthereumを見てみたい。

さて、Ethereumのわからなさは、Bitcoinのわからなさと種類が違う。Bitcoinのわからなさは「そもそも何なのか、価値の根拠がどこにあるのか」という一点に集中していた。他方、Ethereumのわからなさは、方向が多すぎる。スマートコントラクトが何なのか。ガス代とは何への対価なのか。DAOは組織なのか、ただの投票機なのか。DeFiは金融なのか、金融ごっこなのか。

毎回ここで詰まる。

今回はその詰まりと正直に向き合う。ただし、前回と同じ方針で。技術の中には入らない。「制度と神話の翻訳」だけをやる。

1.人類は信用をどこに置いてきたか

まず一歩引いて、大きな問いから入りたい。今回は五本の補助線を引きながらEthereumに近づく。信用の置き場の歴史、コードを信じることの奇妙さ、既存技術との比較、監視と統治の問題、神話の機能。

人間はいつも何かを信じることで社会を動かしてきた。重要なのは「何を信じるか」という中身ではなく、「信用をどこに置くか」という構造の話だ、と自分には見える。

前回出した7分類の表を、もう一度ここに置いておく。第1回はBTCの行だけを深掘りしたが、今回はETHの行に進むための足場として、改めて参照したい。

図1. 暗号資産・伝統資産の7分類(筆者による暫定分類)。筆者作成

「価値の源泉」の列を縦に眺めると、国家の約束、自然の希少性、コードの希少性、プログラム可能な土台——根拠の置き場が一つずつズレている。これは「信用をどこに置くか」の歴史そのものだ。少し遠回りになるが、その歴史をたどる。

「信用」が移動する瞬間

村社会では、顔が信用の置き場だった。同じ村に住む人間の顔を知っている、だから信用できる。見知らぬ他人には簡単に物を貸さない。信用の射程は、顔の見える範囲と一致していた。

宗教が登場すると、信用の置き場が拡張した。神の前で誓った約束は、村の外の人間とも結べる。「あの人は嘘をつかない、なぜなら神を恐れているから」という論理で、見知らぬ他者との取引が可能になった。

神殿はその物理的な置き場だった。古代の神殿は、宗教施設である以前に、債務記録と穀物保管と信用仲介を兼ねていた。最初期の信用インフラは神殿だった。

前回の記事でYuval Noah Harari(ユヴァル・ノア・ハラリ)を引いて書いたように、十字軍の時代、キリスト教徒とイスラム教徒は互いを異教徒として殺し合いながら、金貨を介しては取引していた。神は違えど、金貨は同じだった。信用の置き場が「神」から「金属」へと移動した瞬間でもある。

国家は信用の射程をさらに広げた。Max Weber(マックス・ウェーバー)が「正当な暴力を独占する共同体」と呼んだ仕組みは、裁判所、差し押さえ、強制執行を裏に置く。最終的に暴力装置が裏打ちしているから、見知らぬ他人との大規模な取引が可能になった。

銀行はその国家の暴力を前提に「帳簿」を置いた。あなたが100万円持っているのは、銀行の帳簿に「100万円」と書いてあるからで、その帳簿を信じているからだ。さらに法律は、その帳簿群を支えるメタな層として立ち上がった。証券取引所、中央清算機関、保管振替機関——これらはすべて「誰かの帳簿を正確に保つ仕組み」で、最終的には法律が「これは正しい記録だ」と保証することで動いている。現代金融のほぼ全体は、この法律と帳簿への信用に乗っている。

さらに、知らぬ間に、GAFAがそこに「サーバ」という新しい置き場を加えた。Googleのサーバが「この情報は正しい」と判定する。Amazonのサーバが「この商品を注文した」と記録する。MetaのサーバがあなたのIDを管理する。国家の裏付けがなくても、圧倒的な市場支配力を持つ企業のサーバが、新しい信用の置き場になった。

そして、Ethereumは言った。コードでいい、と。

顔→神→暴力→帳簿→法律→サーバ——信用の置き場は、人類の歴史を通じて変わり続けてきた。Ethereumはその系譜の末尾に、新しい候補として「コード」を持ち込んだ。この変遷を一枚で整理するとこうなる。

図2.信用の置き場の変遷。筆者作成

もう一つの補助線——Polanyi

ここまでが信用の系譜だ。もう一度、別の角度から見ておきたい。

ここでKarl Polanyi(カール・ポランニー)の『大転換』を引きたい。前回の記事でも一度Polanyiの名前を出したが、思考実験として軽く触れただけで素通りした。Ethereumを論じるなら、もう少し立ち入る必要がある。Ethereumを論じるならPolanyi を引かないわけにいかないと本気で思っているが、調べた限りでは、Web3入門記事でこんなことを書く奴は他にいない。

Polanyiの議論はこうだ。前近代社会では、経済は社会制度に「埋め込まれて」いた。市場は宗教や慣習や共同体に組み込まれた一要素にすぎず、独立して動くものではなかった。ところが19世紀、産業革命と共に「自己調整市場」という思想が立ち上がり、経済を社会から引き剥がそうとした。土地・労働・貨幣という、本来は商品ではないものを商品として扱う擬制——Polanyiはこれを「擬制商品」と呼んだ——によって、市場は社会から自律したかに見えた。だが、その引き剥がしは反動を呼んだ。労働運動が、保護主義が、ファシズムが、ニューディールが、20世紀前半に同時多発的に噴き出した。社会が市場を取り戻そうとする運動だ。これがPolanyiの言う「大転換」だ。

ここから読み取れるのは、経済はいつも何かに「埋め込まれて」いて、その埋め込み先を変える運動が歴史を動かしてきた、ということだ。前近代では共同体と宗教に埋め込まれていた。19世紀には自己調整市場という思想の中に埋め込まれた。20世紀には国家と企業のヒエラルキーに埋め込まれた。そのたびに人々は「これは自然な状態だ」と言い、その後で「いや違った」と気付いてきた。

Ethereumはその「埋め込み先」を変えようとしている。国家でも銀行でも企業サーバでもなく、誰でも読めるコードの中に制度を埋め込もうとした。だがPolanyiの視点を本気で受け止めるなら、ここにも擬制がある。コードは中立な道具ではない。誰がそのコードを書き、誰がそれを動かすインフラを所有しているかという問題は残る。コードという中立に見える基盤を信用の置き場として「商品化」する試みは、それ自体が新しい擬制だ。Ethereumは擬制から逃れているのではなく、擬制の置き換えを試みている。その革命性は、ここを冷静に見極めないと評価できない。

Polanyiが見たら、おそらく面白がるだろう。あるいは肩をすくめるだろう。市場の埋め込み先を「コード」に変えたところで、結局は新しい擬制商品を作っているに過ぎない、と。だがそれでも、置き換えの試みそのものは、歴史の文脈に並べる価値がある。

2.「コードを信じる」という奇妙さ

スマートコントラクト(smart contract)という言葉が出てくると、たいてい「自動で実行される契約!革命的!」という説明が続く。自分には、その説明がいつも安く聞こえる。これの何が奇妙なのか、という問いから入りたい。

通常の契約とは何か。それは約束だ。AとBが「条件Xが満たされれば、BはAに金銭を支払う」と合意する。紙に書く。署名する。条件が満たされてもBが支払わなければ、Aは裁判所に訴える。裁判所が判決を出す。判決が無視されれば、国家の強制力が動く。普通の契約は「約束+それを強制する人間の仕組み」で成立していて、その有効性は最終的に暴力装置を持つ国家が保証している。

スマートコントラクトは、この「強制する人間の仕組み」の部分をコードに置き換えた。条件Xが満たされれば、コードが自動的に支払いを実行する。誰も判断しない。裁判所も介在しない。コードが状態を遷移させる、ただそれだけだ。スマートだ。

前回の記事でVitalik Buterin(ヴィタリック・ブテリン、Ethereumの共同創業者)が「Bitcoin=電卓、Ethereum=スマートフォン」という比喩を使ったことを紹介した。Vitalikはこれを「ワールドコンピュータ」とも呼んでいる。Harvard International Reviewのインタビューでは、「誰でもスマートコントラクトと呼ぶコードをアップロードできる。みんなが同じコンピュータの上にものを置き、作っているような感覚——それがワールドコンピュータのアイデアだ」と語っている。

雄大な言葉だ。ただ、Vitalikがなぜこういう設計思想に至ったかについては、もう少し卑近な逸話がある。本人がbioに繰り返し書いている話だ。気に入っているのだろう。

2007年から2010年にかけて、当時10代のVitalikは、Blizzard社の大規模オンラインRPG『World of Warcraft』を熱心にプレイしていた。彼が愛用していたWarlockキャラの「Siphon Life」というスキルが、ある日のアップデートで弱体化(ナーフ)された。Vitalikは本人の弁を借りれば「泣きながら眠った」。そしてその日、「中央集権的サービスがどんな恐怖をもたらしうるかを悟った」とbioに書いている。組織やシステムへの信頼の本質を、極めて純粋な形で示している。誰かが一方的にルールを書き換えられる、その「誰か」への信頼は、本質的に不安定だ。設計思想の原体験としては、不思議と的を射ている。

自分が面白いと思うのは、ワールドコンピュータの概念の雄大さではない。「人間を信じる代わりに、状態遷移を信じる」という転換の方だ。

金融の文脈で言い換えれば、こうなる。金融とは本質的に「信用コスト産業」だ。銀行も、証券会社も、中央清算機関も、保管振替機構も、突き詰めれば同じことをしている——「信用コスト」を引き受け、その対価として手数料を取る。あなたが100万円を振り込む。相手に届くか不安だ。その不安を、銀行が引き受ける。送金先が実在するかどうかを確認し、記録し、保証する。それが銀行という機関の本質だ。

Ethereumはその信用コストをコードに移転しようとしている。銀行を信じる代わりに、スマートコントラクトを信じる。証券会社を信じる代わりに、オンチェーンの記録を信じる。会社組織を信じる代わりに、DAO(Decentralized Autonomous Organization、分散型自律組織)のルールを信じる。「誰を信じるか」から「どの構造を信じるか」への転換——これがEthereumの本質だ、と自分には見える。

ただし、正直に言うと、「コードを信じる」とは何を意味するのか、まだ完全には腑に落ちていない。コードを書いたのも人間だ。コードの解釈を巡って争いが起きたとき、最終的に判断するのも人間だ。コードは何も言わない。

2016年に起きたThe DAO事件は、その矛盾を露わにした。コードの「バグ」を利用した大規模な資金流出に対して、Ethereum側はブロックチェーンを巻き戻すという決定を下した。コードより人間の判断を優先した、ということだ。「コードは法だ」と言いながら、人間が法を書き換えた。この一件は、Ethereumの理想と現実の間にある距離を最もよく示している。事件の詳細は、後半の第5節で改めて掘り下げる。

3.「ほとんど既存技術で出来る」問題

ここで正直に書かなければならないことがある。

NFTも、DEX(Decentralized Exchange、分散型取引所)も、DAOも、「普通のデータベースで出来るじゃないか」という批判がある。これは半分正しい。技術的な機能だけを見れば、既存の中央集権的なシステムで再現できるものがほとんどだ。Ethereumの上で動いているものを一枚に俯瞰すると、この見取り図になる。

図3.管理権(横軸)と信用の目的(縦軸)。筆者作成

この批判は実際に効いた。2017〜2018年の最初の熱狂で語られた「ブロックチェーンの応用」——サプライチェーン管理、医療記録、不動産登記、投票システム、企業のコンソーシアムチェーン——のほとんどが、その後静かに消えていった。理由は単純で、これらの領域には既に信頼できる管理者(企業・国家・国際機関)が存在しており、ブロックチェーンの設計思想が解決すべき問題が存在しなかったからだ。「使えば便利かもしれない」というレベルの主張では、運用コストの増加と修正困難性を正当化できなかった。2020〜2021年の二度目の熱狂で語られた「ブロックチェーンの生活インフラ化」も、今のところ実現していない。

ここまでは批判の側に正当性がある。冷静に評価すれば、ブロックチェーンは「やろうと思えばできるが、やるだけの価値がない」場面が圧倒的に多い。技術として大したものではない、というのが今のところの現実だ。

ただし、これは「現在の制度が安定している」という前提付きの評価だ。平時には速度や修正しやすさが優先されて当然だ。歴史を振り返れば、その平時が永遠ではない瞬間があった、と気付かされる。この留保は記事の最後でもう一度戻ってくる。

しかし、その批判をする人間に、自分は聞き返したくなる。重要なのは「何が出来るか」ではなく「誰が止められるか」ではないか、と。

同じ問いは、インターネットが登場したときにも立てられた。当時も「新聞は既にある」「手紙も電話もある」「通販もFAXもある」と言われた。確かにその通りだった。インターネットが新しい機能を生み出したのではない。本質は「どこを経由して情報を流すか」の変更だった。経由地を持つ者が持っていた停止権・検閲権・排除権を、TCP/IPというプロトコルが迂回した。それがインターネットの正体だった。

Ethereumも同じ構造だ。決済の経由地を握っているのが銀行であり、SWIFTであり、証券保管振替機構だ。SWIFTは国際送金のインフラとして知られているが、技術的にはただのメッセージングシステムだ。機能だけ見れば、メールに近い。だが2022年、ロシアがウクライナに侵攻した後、西側諸国はロシアの主要銀行をSWIFTから切り離した。その瞬間、ロシアは国際的な決済から実質的に締め出された。機能は普通のメッセージングと変わらない。だが、誰がその経由地を止められるか——それが全てだった。

中央清算機関、銀行システム——これらも同じ問いを持っている。誰が凍結できるか。誰が排除できるか。誰がルールを変えられるか。誰が参加を拒否できるか。制度の「改ざん権」「凍結権」「排除権」「ルール変更権」——これらは機能の問題ではなく、権力の問題だ。アセットマネジメントに近い人間ほど、その問いの重さは骨身に染みているはずだ。

Ethereumが主張しているのは「新しい機能」ではない。「中央管理者を経由しないという選択肢を作った」ということだ。SWIFT、JASDEC、Ethereumの三者を「誰が止められるか」という軸で並べると、その違いが一目でわかる。

図4.管理権の所在による比較。筆者作成

証券の決済を例にとる。株式を売買するとき、取引が成立してから実際に証券と代金が受け渡されるまでには時間がかかる。日本では通常2営業日かかる。その間、誰かが「この取引は確かに成立した」という事実を管理している。証券保管振替機構(JASDEC)がその役割を担う。なぜ2営業日かかるのか。なぜ第三者機関が必要なのか。答えは一つで、「誰かが帳簿を管理しなければならない」からだ。その管理者を排除できない仕組みになっているから、コストがかかり、時間がかかり、そのコストは最終的に投資家が負担する。

Ethereumのスマートコントラクトで組んだ取引は、条件が満たされれば即座に決済される。24時間、365日。JASDECもいない。管理者もいない。コードが動くだけだ。機能としては「即時決済」だが、本質は「決済の管理者を消した」ことだ。

2020年夏、「DeFiサマー」と呼ばれる現象が起きた。Ethereumの上に構築された分散型金融プロトコルに、短期間で大規模な資産が流入した。銀行口座を持てない人間が、スマートフォン一つで貸し借りをする。許可を求める相手がいない。審査もない。コードが動いているだけだ。DeFiサマーは機能の革新ではなかった。「誰の許可も要らない金融インフラが存在する」という事実が、初めて大規模に証明された瞬間だった。

Franz Kafka(フランツ・カフカ)の小説を思い出す。『審判』のヨーゼフ・Kは、なぜ逮捕されたのかを理解できないまま見えない権力に飲み込まれていく。『城』の主人公Kは、目の前に城が見えているのに、手続きと官僚機構が無限に邪魔をして、そこにたどり着けない。理由の分からないルール、見えない権力、到達不能な管理機構。

身近な経験でも近いことが起こる。親族の死後の手続き、ネットや電話の解約、年金や保険の問い合わせ——順番を一つ間違えると、口座が解約できない、お金が引き出せない、書類を集めるためにまた別の窓口を回らされる。誰が悪いわけでもないが、誰にも責任を取れない構造の中で、申請者だけが疲弊する。

現代金融も同じ側面を持つ。KYC(Know Your Customer、本人確認)で弾かれる。口座を凍結される。国家間の規制の隙間で取引を拒否される。なぜかを理解できないまま、システムの外に置かれる。

Ethereumはそのようなシステムへの反抗として設計された。「ルールをコードとして公開する」という試みだ。コードは読める。誰でも確認できる。不透明な権力ではなく、透明なコードに従う——そういう世界を作ろうとした。

ただ、皮肉がある。

ガス代の計算。MEV。ブリッジ。L2の乱立。ロールアップ。リステーキング。シーケンサ。DAO投票の複雑さ。

並べるだけで眩暈がする。これらの言葉に出会うたびに、自分はKafkaの『城』を思い出す。目的地は見えているのに、手続きの迷路が邪魔をする。書き手も読者もKだ。透明なルールがあるはずの世界で、なぜか途方に暮れている。

反Kafka的に設計されたシステムが、再びKafka的な複雑さを生んでいる。

それぞれの意味は、連載が進むにつれて少しずつほどいていく予定だ。今ここで言いたいのは、設計の意志と現実の帰結の乖離——これも、Ethereumの正直な姿だということだ。

4.「夢の技術」ではない

Ethereumを「夢の技術」として語る人間がいる。量子コンピュータや、空飛ぶクルマや、タイムマシンのような——まだ見ぬ革命的な何か、人類の念願という雰囲気で語られることがある。

いや、違う。Ethereumは夢の技術ではない。今すでに動いている。そして、やっていることは極めて地味だ。

そもそも、ブロックチェーンという技術自体、夢の技術ではない。技術構成要素を分解すると、ハッシュ関数も、公開鍵暗号も、P2Pネットワークも、2008年以前から存在していた既存技術だ。Satoshi Nakamoto(サトシ・ナカモト)の天才性は「組み合わせ方」にあって、構成要素そのものに新規性があるわけではない。新素材でもなければ、未知の物理現象を利用しているわけでもない。既存技術の再配置でしかない、というのが冷静な技術評価だ。

その冷静な技術評価から始めると、Ethereumの位置取りも見えやすくなる。

まずはLinux(リナックス)を思い出そう。オープンソースのオペレーティングシステムだ。Windowsとどちらが優れているかという話ではない。重要なのは、Linuxが「誰の所有でもないOSを世界中で動かせる」という統治構造を作ったことだ。機能の話ではなく、誰がコントロールするかの話だった。今や世界中のサーバの大部分はLinuxで動いている。Linuxに使用料を払っている企業はほぼいない。誰も所有していないインフラが、世界のインフラを支えている。

先に登場したが、TCP/IP(インターネットの通信規格)も同じ問いを持つ。先ほどは情報の経由地としてインターネットを見た。ここではもう少し、統治構造として見たい。データを送受信するだけなら、既存の通信会社のネットワークでもできた。だがTCP/IPが変えたのは「誰も経由地を管理できない」という構造だった。パケットはどの経路を通るかを自律的に決める。どこかの会社がTCP/IPの通信を独占的にコントロールすることはできない。

Ethereumも、機能ではなく統治構造の話だ。「新しい機能を追加した」のではなく、「既存制度の置き場所を変える」という試みだ。極めて地味で、極めて政治的な技術だ。

ここでMichel Foucault(ミシェル・フーコー)を思い出してもいい。Foucaultが「パノプティコン(panopticon)」と呼んだ装置がある。18世紀に設計された円形監獄で、中央の塔から看守が全囚人を見渡せる一方、囚人は自分が今見られているかどうかを確認できない。「見られているかもしれない」という意識が、行動を内側から律する。現代の金融インフラも近い構造を持つ。銀行口座、取引履歴、IDの統合——中央のサーバが、こちらを見ている。その中央に誰がいるか。銀行であり、国家であり、プラットフォーム企業だ。

Ethereumはその中央の塔を消そうとした。消えた。だが、消えた結果生まれたのは、監視のない世界ではない。監視の方向が転倒した世界だった。中央が消えた代わりに、全ての取引履歴が誰にでも見えるようになった。一対多の監視が、多対多の監視になった。記録権力は中央から解放されたが、史上最も追跡可能な記録装置が作られた。

図5.パノプティコンとEthereumの台帳構造の比較。筆者作成

Foucaultが論じたパノプティコンとは別の構造だ、と言い直しておく。彼が描いたのは中央からの一方向の視線で、Ethereumのそれは全方位的な相互可視性だ。それでも、見られていることが行動を内側で律するという効果のレベルでは、二つは通底しうる。

5.コードより人間が勝った日——The DAO事件

ここで一度立ち止まる。ここまで構造の話を抽象的に進めてきた。だが、その構造が一度、現実の事件として試された瞬間がある。第2節で短く触れたThe DAO事件を、もう少し具体的に書いておく。「コードは法だ」というEthereumのスローガンが、どこで折れたか——その瞬間の細部を書かないと、ここまでの論考が綺麗事になる。

2016年4月、Slock.itというドイツ系のスタートアップが「The DAO」を立ち上げた。Ethereumのプロトコル開発者でもあったChristoph Jentzschが設計し、彼の弟Simon、それからStephan Tualが顔役を務めた。ETH(Ethereumのネイティブ通貨)を送ればDAOトークンが手に入り、保有者が投資先を投票で決める——「中央管理者のいないベンチャーファンド」という触れ込みだった。集まったETHは当時の市場価格で1.5億ドル相当。Ethereum全流通量の約14%が、たった一つの実験的契約に流れ込んだ。歴史上有数の規模のクラウドファンディングだった。

しかし、その契約コードには再帰呼び出し(reentrancy)の脆弱性があった。公開前のレビュー段階で外部から指摘されていた既知の問題だった。修正は間に合わなかった、というより、修正の優先順位が低かった。集めたETHを早く動かす方が大事だったのだ。

事件は同年6月17日に起きた。誰かが脆弱性を突いて、約360万ETH(当時で約5,000万ドル相当)を「子DAO」と呼ばれる別契約に流し込んだ。仕組み上、その資金は28日間ロックされる。28日。Ethereumコミュニティに与えられた、判断の猶予期間だった。

Ethereumコミュニティは二択を迫られた。

ハードフォーク(チェーンの巻き戻し)するか、しないか。

ハードフォークすれば、ブロックチェーンの過去を巻き戻して、被害をなかったことにできる。だが、「コードは法だ」という建前は壊れる。一方、もちろん、しないという選択もあった——コードが書いた通りに動いた以上、それを尊重すべきだ、という立場だ。Bitcoinの世界では、これは聖典に近い原理だ。

実際、ハッカー(あるいは騙る誰か)はEthereumコミュニティに公開書簡を出した。要旨はこうだ。「私はThe DAOのコードを慎重に検証し、ETHを追加で取得できる機能を見つけてから参加することを決めた。これは契約に書かれた機能の正当な利用であり、合法的な行為だ。私のETHを没収しようとする者には法的措置を取る。」冗談ではなく、本当にこう書かれていた。「コードは法」を真面目に受け取った場合、この主張は論理的に反論しにくい。

Vitalik Buterinは前者を選んだ。投票が行われた。Carbonvoteと呼ばれる、その場で急遽用意された投票ツールで、24時間にも満たない投票期間が設けられた。広報は公式ブログとTwitterとReddit。日本語コミュニティはほぼ素通りだった。西洋的である。

結果、投票したのは全ETH保有者のうち4.5%——二十人に一人だけ。残り95%は沈黙した。投じた人の中では97%がフォーク賛成。「賛成多数」と言えば聞こえはいいが、実態は「ごく少数が動いて、大多数は何も言わなかった」だった。Vitalik本人は、後に自分の論考で、この投票率の低さを暗号資産ガバナンスの典型的な失敗例として挙げている。それでも、Ethereum Foundationの呼びかけと大口保有者の同意で、フォーク案は通った。7月20日、ブロック1,920,000でEthereumは分岐した。

ここに名付けの皮肉がある。ハードフォーク派——つまり過去を書き換えた側——が「Ethereum」を名乗り続けた。元のコードのまま動いていた側、つまり「コードは法」を字義通り守ったチェーンは、「Ethereum Classic」と呼ばれることになった。「Classic」=古い、終わった、過去のもの。歴史記述の上で、勝った側が「現在」を、原理を守った側が「過去」を割り当てられた。

これがEthereumの一つの実態だ。「誰も止められない」と謳いながら、止めることを選んだ。「ルールを変えられない」と言いながら、ルールを書き換えた。Vitalikの一言で、Ethereum Foundationの判断で、4.5%の投票で、過去が消えた。神官のいない神殿には、はっきりと神官がいた。

弁護できる側面もある。当時のEthereumはまだ1歳で、コミュニティの存続そのものが危ぶまれていた。1.5億ドルの三分の一が消える事態は、信用そのものを失わせかねなかった。Polanyi的に読めば、これは自己調整市場への反動の典型例だ。市場が自律的に動くと言いながら、危機が来れば社会が介入する——その20世紀的パターンの、ブロックチェーン版だ。

しかし、Bitcoinが歩まなかった道でもある。Bitcoinも何度も危機を経験している。Mt.Gox破綻、シルクロード摘発、中国マイニング規制、FTX崩壊。プロトコル外の事件に翻弄されながらも、プロトコルそのものを巻き戻したことは一度もない。「コードは法」を本気で、愚直に、守り続けてきた。

EthereumとBitcoinの違いは、機能だけではない。「危機の前で、神官を呼び出すか呼び出さないか」という思想の根の話でもある。Ethereumは神官を呼び出した。それが弱さなのか、現実的な賢さなのかは、まだわからない。しかし、少なくとも、神官がいることは、もう隠せない。

その後も、似た判断は何度か入った。2017年11月のParityウォレットのバグでは、約51万ETH(当時の時価で1.5億ドル相当)が永久にロックされた。フォーク派は救済を求めた。今度は通らなかった。基準は明示されていない。事件のたびに、その時点のコミュニティが判断するという曖昧な運用だ。

エンジニアリングの観点から見ても、これは構造的な脆さだ。現代の基幹システムは、冗長性とフォールトトレラントによってリスクを抑えるよう設計されている。障害が起きても、どこかが止まり、どこかが継続し、別の経路が復旧する。スマートコントラクトの「一度デプロイしたら変更できない」という性質は、その設計思想と根本的に相性が悪い。事件が起きたときに「コミュニティが判断する」しかなくなるのは、書き換え不能性がエンジニアリング上の冗長性を排除した結果だ。原則がコードの形で綺麗に書かれている分、現実とのギャップを吸収する弾力性が、そもそも構造に組み込まれていない。これが近未来的なスマートなのかもしれない。

コードは法。ただし、危機が来たら、コードを書き換える人間が法を決める。それがEthereumの裏設計だ。神官のいない神殿は、いつでも神官を呼び出せる構造になっている。

比較を一つ置きたい。BitcoinのSatoshi Nakamotoは2011年に姿を消した。論争を残して、消えた。EthereumのVitalik Buterinは、今もDevcon(Ethereum Foundationが主催する、世界中の開発者や研究者が集うカンファレンス)の壇上に立ち、ロードマップを描き、X(旧Twitter)で意見を述べる。コミュニティは彼の次の発言を待ち、市場は彼の動向に反応する。Bitcoinは神官を制度的に退場させた。Ethereumは神官を待機させた。それが構造上の違いだ。

6.神話は消えない

最後に問いに戻る。

人類は信用をどこに置いてきたか。顔、神、暴力、帳簿、法律、サーバ、そしてコード。
Ethereumはその系譜に新しい候補を持ち込んだ。

前回の記事でHarariを引いた。国家も貨幣も法律も証券も、みんなが信じるから成立している「共同幻想」だ、と。銀行預金の実体は帳簿の一行だ。株式の実体は紙と約束だ。法律の実体は、みんながそれに従うという信念だ。これらは全部、共同幻想だ。

Ethereumが問うているのは、「国家と企業以外の場所に共同幻想を置けるか」ということだ。

ただ、Ethereumを眺めていると、皮肉が積み重なる。ガス代は高い。L2(レイヤー2、Ethereumの処理速度を補う拡張技術)は乱立している。その乱立は、単なる技術的な過渡期ではなく、Ethereumが単一の実行基盤から、保証モデルを選ぶ複数のレイヤーへと役割を変えつつあることも示している。Ethereum Foundationという組織が存在し、Vitalikという固有名詞が今なお強い影響力を持つ。VC(Venture Capital)が大量のETHを抱えている。Validator(バリデータ、取引を検証してブロックを生成する主体)も、Lidoというステーキングプール——ETHを預け入れて検証に参加する仕組みだ——一つでETHステーキングの三割近くを担い、上位数プールで過半数を超える局面もある。「誰も管理しない」と言いながら、実態はいくつかの強いアクターが支配的な影響力を持つ。脱中央集権を目指して、また新しい中央集権が生まれている。

これはEthereum固有の問題ではない。反体制的なものは、必ず体制に回収される。Bitcoinが機関投資家に吸収されていったのと同じ構造だ。パンクロックはレコード会社に契約され、ヒッピーカルチャーはファッションになった。Polanyiが見たら、おそらく既視感のある光景として記述するだろう。

もう一つ、肩をすくめざるをえない事実がある。「誰も止められない」が常に望ましいわけではないという、当然の話だ。2022年、米財務省OFACはTornado Cashという暗号資産のミキシングサービスを制裁リストに入れた。北朝鮮系のハッカー集団Lazarus Groupによる資金洗浄に使われていた、というのが理由だった。「誰も止められない」インフラは、ランサムウェアの身代金でも、テロ資金供与でも、サイバー攻撃資金でも、同じく止められない。第3節で「誰が止められるか」を肯定的に語ったとき、自分はこの裏面を意識的に括弧に入れていた。解放と不正義の温存が、同じ構造から生まれているという事実は、消えない。連載が進めば、この別面にも踏み込まざるをえない。

Claude Lévi-Strauss(クロード・レヴィ=ストロース)は、神話とは矛盾を解消するために生まれる構造だと論じた。人間は、解決できない矛盾を物語に変換することで、その矛盾とともに生きられるようになる。「中央集権か分散か」「コードは法か人間の判断が法か」——Ethereumはその矛盾を抱えたまま存続している。それはバグではなく、神話が機能している証拠なのかもしれない。

Bitcoinが完成された物語だとすれば、Ethereumは終わりなき注釈の物語だ。一方は発行上限という結末を持ち、もう一方はアップデートを重ねながら終わりを持たない。ハードフォーク、Merge、Dencun、Pectra——Ethereumは自分自身を何度も書き直してきた。

前回、Friedrich Nietzsche(フリードリヒ・ニーチェ)を引いた。「人間は何かを意志しないでいるくらいなら、むしろ虚無を意志する」——神が死んだ後も、人間は何かに信頼を託さずにいられなかった。その系譜にEthereumがある。コードという、人間ではない何かに信頼を託せるかもしれない、という賭けだ。

結局のところ、Ethereumは神話から逃げたのではない。新しい神話を作った。国家という神話でもなく、銀行という神話でもなく、「誰も止められないコードへの信頼」という「神話」を。空飛ぶクルマではなかった。少し地味な、しかし依然として神話だった。その神話が持続するかどうか——実験は続いており、答えは出ていない。自分には、これを革命とは呼べない。信用の置き場を変えようとする、極めて地味で、極めて野心的な実験だ、とは言える。

おわりに——神官のいない神殿

ここまで信用の構造をめぐる話だった。締めに比喩を一つ置きたい。

古代の神殿は、宗教施設である以前に「信用インフラ」だった。神の前で誓約し、台帳を管理し、債務を記録し、穀物を保管し、信用を仲介した。神殿とは信用の置き場だった。宗教的な役割と、金融的・行政的な役割が、一つの建物の中に同居していた。

前回の記事でBitcoinを「金の延べ棒」と呼んだ。金塊は持つものだ。保存するものだ。動かさないことに意味がある。Ethereumは、それとは対照的に、神殿に近い。契約を保管し、所有を記録し、組織のルールを刻む。古代の神殿が担っていた機能の、現代的な実装だ。

ここで、前回の図をもう一度引いておきたい。

図6. 機能の汎用性と価値の源泉——二つの軸で見る4資産。筆者作成(再掲)

前回の図は、Ethereumを二つの角度から見るための仮の地図だった。横軸は、Vitalikの比喩に近い。何ができるか、どれだけ多くの機能を乗せられるか。縦軸は、この連載で後から足した軸だ。価値の源泉はどこにあるのか、信用はどこに置かれているのか。Ethereumは右下、「多機能・汎用」かつ「利用需要寄り」の位置にいる。

もちろん、この二つでEthereumの全体が見えるわけではない。ただ、自分が詰まっていた場所を整理するには、この二つの軸が必要だった。今回の論考は、その縦軸の話だった。Ethereumがなぜ下半分にいるのか、なぜ価値の源泉が利用需要側に偏るのか——その背景にある「信用の置き場」を、ずっと掘ってきた。

横軸の比喩が「万能工場の土地」だった。縦軸の比喩が「神官のいない神殿」だ。同じEthereumを、違う軸から見ている。図には、最初からその二重性が組み込まれていた。

ただし一点だけ、古代の神殿と違う点がある。Ethereumは「神官のいない神殿」を作ろうとしているのだ。神官も、祭司長も、神殿を管理する権限を持つ誰かも存在しない。ルールはコードの形で刻まれていて、誰でも読める。誰も書き換えられない——建前の上では。

しかし現実には、The DAO事件のようにコードを巻き戻した人間たちがいた。Vitalikの一言で市場が動く。Ethereum Foundationが意思決定を下す。神官がいない神殿のはずが、どこかに神官の影が見える。

ただそこで「やっぱり神話に過ぎない」と切り捨てて終わるのも、違う気がする。国家という神殿にも神官はいる。銀行という神殿にも神官はいる。問題は「神官がいるかどうか」ではなく、「神官を交代させられるか」「神官の行動を誰でも監視できるか」「神殿への参加に許可が要るか」——そこにあるのかもしれない。

あるいはそれさえも、次の神話に過ぎないのかもしれない。

第1回で「初期微動」という言葉を使った。Bitcoinは地震計の針が振れた最初の瞬間だ、と書いた。本震が来るかどうかはわからない、来ないかもしれない、と。同じ言葉を、Ethereumについても繰り返したい。「神官のいない神殿」が本来の意味を持つのは、おそらく今ではない。信頼できる中央管理者がいる平時の世界では、第3節で書いた批判の通り、Ethereumは冗長な構造だ。その批判は、間違ってはいない。

ただし、本震が来たとき——既存の信用インフラへの信頼が根本から崩れる事態、大規模な国家信用の失墜、金融制度の壊滅的な障害、これまで自明だった「誰かが帳簿を管理している」前提が成立しなくなる事態——そのときに初めて、神官のいない神殿の設計が意味を持つ。「やるだけの価値がない」は「現在の世界では」という留保付きの判断だ。世界が変われば、評価も変わる。

本震が来るかどうか、Ethereumがその時に応えられるかどうかは、今は誰にもわからない。針は振れた、それだけは確かだ。あとは観測点が増えていくのを、待つしかない。

次回はステーブルコインを扱う。Bitcoinが価値を再配置し、Ethereumが信用を再配置したとすれば、ステーブルコインは何を再配置したのか。「ドルから離れる」ことを掲げて生まれたはずの暗号資産の世界で、なぜ「ドルにしがみつく」資産が最も普及したのか。そのねじれと向き合う。

観測点を増やしながら、先に進む。

連載「今更聞けないweb3」第2回 / 全10回予定

参考文献

  • ・Vitalik Buterin, Harvard International Review インタビュー(2021年)
    ※ アクセス障害時は Wayback Machine スナップショット を参照
  • ・Vitalik Buterin, About.me bio
    「I cried myself to sleep, and on that day I realized what horrors centralized services can bring」の原典。本稿のWoW逸話・bio引用部の出所。
  • ・Vitalik Buterin, Conversations with Tyler(Tyler Cowen との対談、2018年8月)
  • ・Vitalik Buterin「Notes on Blockchain Governance」(2017年12月)
    Carbonvote投票率4.5%を「典型的な失敗例」として論じている原典。本稿の第5節で引用した数字の出所。
  • ・Laura Shin『The Cryptopians』(PublicAffairs, 2022年)
    DAO攻撃者の身元についての調査報道を含む、初期Ethereum史の決定版。本稿では実名特定には踏み込まなかったが、Shinの取材は事件の細部の裏取りに用いた。
  • ・”How The DAO Hack Changed Ethereum and Crypto” CoinDesk(2023年5月)
    事件から7年後の総括。Christoph Jentzschへの近年のインタビュー含む。
  • ・Wikipedia: The DAO (organization)
    日付・固有名詞・数字の総合リファレンスとして
  • ・masao i L2は『イーサリアムをスケールする存在』だけではなくなってきている — ヴィタリックの発言から見える、イーサリアムの役割再定義メモ (2026年2月)
  • ・Karl Polanyi『大転換』(1944年)
  • ・Yuval Noah Harari『サピエンス全史』(2011年)(第1回より継承)
  • ・Franz Kafka『審判』(1925年)/『城』(1926年)
  • ・Michel Foucault『監獄の誕生』(1975年)ほか
  • ・Claude Lévi-Strauss『神話論理』(1964年)ほか
  • ・Max Weber『職業としての政治』(1919年)
  • ・Friedrich Nietzsche『道徳の系譜』(1887年)(第1回より継承)

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