WebX2026 | セッションレポート
次世代決済の分岐点
ステーブルコインとトークン化デポジットは「競合」なのか「補完」なのか——この問いを軸に、サークルのアジアMD、JPモルガンのデジタル資産部門キネクシス統括責任者、ソラナ財団のAPACヘッドが議論を交わした。3者が示したのは共通の結論であり、どちらが勝者かという二項対立ではなく、ユースケースとステークホルダーによって最適な手段が異なるという現実であり、問われているのは「インフラへの統合」と「エージェンティックコマース」という次の課題である。
登壇者プロフィール
サークルのアジアMDとしてUSDCのアジア展開を統括。米国・EU・シンガポール(MAS)・日本(金融庁)での規制取得を経て、地域全体での機関・リテール双方への普及を推進する。
JPモルガンのデジタル資産事業部門キネクシスを統括。G-SIBとして初めてパブリックブロックチェーン上に預金トークンを発行し、日次80億ドル規模のデジタル決済インフラを運営する。
ソラナ財団のAPACヘッドとしてビジネス開発と成長を統括。高スループット・低レイテンシーを基盤に、機関投資家向け決済・AIエージェント対応インフラとしてのソラナの普及を推進。
コインデスクでマーケットを担当するエディター兼アナリスト。仮想通貨・デジタル資産の市場動向と規制の交差点を幅広く取材・分析する。
当日は諸事情により欠席。マスターカードでデジタル資産・ブロックチェーン分野のシニア・バイスプレジデントを務める。
競合か補完か——共存という結論
「ステーブルコインとトークン化デポジットは対立する設計思想なのか、それとも補完し合う存在なのか」——モデレーターのオムカル・ゴドボレ氏がこの問いを投げかけると、3者の答えは驚くほど一致していた。
オリバー・ハリス
共存する、というのが答えだ。ただし明確に異なるユースケース向けだ。トークン化デポジット、つまりデポジットトークンは商業銀行の負債をパブリックブロックチェーン上に置いたものだ。マネーの単一性を壊さない。機関投資家がオンチェーンに移行するにつれて成長していくと見ている。一方ステーブルコインは決済手段・支払い手段として、特にリテールや消費者側でプロダクトマーケットフィットを確立している。ベアラー型の決済手段として、P2Pのクロスボーダーに強みを持つ。両者は異なるステークホルダーの異なるニーズに応えながら共存する。
ヤム・キ・チャン
ステーブルコインとトークン化デポジットの対立論には決着をつけるべきだ。両者は根本的に異なる種類の金融手段であり、共存する。ステーブルコインを見ると、今日すでに130カ国以上で利用されており、2026年第1四半期のUSDCオンチェーン取引量はサードパーティーのデータで約26兆ドルに達している。しかも高品質な流動資産、国債などで1対1に裏付けられている点で、預金とは法的性格が根本的に異なる。金融技術はアプリケーション層・資産層・インフラ層のそれぞれで進化する。ステーブルコインは資産層での変革の始まりだ。
ルー・イン
どちらの陣営にも十分な伸びしろがある。ソラナのエコシステムを見ると、ステーブルコインの用途はトレーディングから決済側へと着実にシフトしている。次のフロンティアはAIエージェントによる決済だ。そしてどんな完璧な解決策もすべてのユースケースを満たせるわけではない。中期的にはトークン化デポジットもマネーの新たな進化形として大きなインパクトを持つと考えている。
補足:デポジットトークン(トークン化デポジット)とは、商業銀行が保有する預金をブロックチェーン上でトークン化したもの。ステーブルコインと異なり、銀行の負債として利息を付与でき、額面通りに決済される(par value清算)。機関投資家向けのB2B決済での活用が期待されている。
アジアにおける実装事例
「アジアでの普及状況と最大の障壁は何か」という問いに対し、ヤム・キ・チャン氏はサークルが取り組む規制対応と、すでに動いている実際のユースケースを示した。
ヤム・キ・チャン
技術より先に規制の話をすべきだ。これは規制対象のビジネスだ。サークルはUSDCの最大の規制取得済みデジタルドル発行体であり、米国で規制を受け、欧州では唯一のグローバル発行体として規制に対応している。シンガポールではMAS(金融管理局)の認可を取得し、日本では金融庁の承認を受けた最初のステーブルコインだ。我々の構築方法の核心は、規制当局と連携し、銀行が準備金・預金を保有する形で銀行インフラと接続することにある。
解決している問題の本質は資金移動のコストだ。アジアの多くの組織では、ドル建て国際決済にT+1からT+3かかる。JPモルガンに口座を持っていれば行内でより速く処理できるが、世界最大の銀行に取引口座を持てない企業も多い。具体的な事例を挙げると、日本企業がUSDCで東京とロンドン間の社内トレジャリー決済を1時間以内に行うようになった(従来は2〜3日)。シンガポールのNium(ニウム)はビザとの資金精算にUSDCを使用し、7日かかっていたプリファンディングをほぼ即時に短縮した。決済サービス会社のチューンズは、ガーナなど新興国のパートナーへの送金をT+3〜T+5からT+0に改善した。
オリバー・ハリス
B2B・機関投資家向けでは、ステーブルコインよりデポジットトークンに優位性がある。商業銀行のマネーとして額面通りに決済され、利息も付与できる。ステーブルコインはベアラー型なので、ビッドスプレッドが発生しうる点が異なる。機関投資家が必要とするのは「ただのお金であり、額面通りに交換でき、資本規制や会計上の区別を考えなくていい」という確実性だ。一方、P2Pのクロスボーダーやリテール向けの決済手段としてはステーブルコインに一日の長がある。
インフラ統合という最大の壁
「採用が進まない最大の理由は何か」という問いに対して、3者が口をそろえたのはブロックチェーンの技術的限界ではなく、既存システムへの統合の難しさだった。
ルー・イン
ソラナの共同創業者は通信業界出身で、高スループット・低レイテンシーを最初から設計思想の核心に置いている。目標はナスダックのような金融インフラと競えるパフォーマンスを実現し、その先に決済ユースケースを広げることだ。現時点でソラナは高い処理性能を示しているが、大手金融機関が大量の取引量をオンチェーンに移してくる段階や、AIエージェント・ロボティクスがデータやアテステーションをオンチェーンに生成し始めると、あらゆるブロックチェーンにとって本当の試練になる。それでも対応できる準備はできていると考えている。
ルー・イン
規制と技術の間の「フィードバックループ」が鍵だ。何が「可能か」(技術・インフラ・採用)と何が「許容されるか」(規制)の両輪が回ることで加速する。大手銀行と話していると、ブロックチェーン技術の真の強みは同一ネットワーク上にマネーと資産の両方を持てることだ、という点への理解が進んでいる。ただし現時点の課題として、多くの大企業や決済事業者はステーブルコインがERPシステムに統合されていない。マーチャント側も中間・バックオフィスで受け取る準備が整っていない。
オリバー・ハリス
本当の問いはステーブルコインかデポジットトークンかではない。機関投資家側の実際の課題は「デジタル資産にどうエンゲージするか」だ。ウォレットインフラは何か、プラットフォームの全体像は何か、既存システムとどう統合するか。JPモルガンで行っている作業の多くはまさにそこにある。クライアントは技術に興味がない。従来の銀行口座・コルレス銀行ネットワークとシームレスに統合され、24時間365日の金融・コンポーザビリティ・プログラマビリティが、追加レイヤーとして自然に機能することを望んでいる。キネクシスは創設5年で4兆ドルを移転し、現在は日次80億ドルのデジタル決済を処理しているが、JPモルガンの米ドルクリアリング事業が1日17兆ドルを処理しているのと比べるとまだ初期段階だ。
セッション総括
「5年後、ステーブルコインとトークン化デポジットは従来の決済レールと並存するのか、それとも一つの形に収束するのか」——この問いに対してヤム・キ・チャン氏はこう答えた。
「5年後には、これらの言葉自体が消えているといい。Eコマースが当たり前になった今、私たちは毎朝『今日はEコマースで買い物しよう』とは思わない。同じように、マネーを動かす技術への意識がなくなった世界を目指したい。資金移動のコストがゼロに近づけば、新興国も含めてより多くの中小企業や個人が経済活動にアクセスできる。それが金融包摂であり、経済的豊かさの拡大だ」
オリバー・ハリス氏は、オンチェーンFX市場の見通しについて問われ、こう述べた。「キネクシスはすでにリアルタイムのFXサービスを提供している。それは既存のFXビジネスと共存している。5年後に目指すのはプラットフォームスタックの成熟だ。既存の業務をより安く効率的にこなすか、24時間365日の金融・コンポーザビリティという純粋に新しいケイパビリティを提供するか。そのどちらかに明確なビジネスケースがなければ、採用は起きない」
ヤム・キ・チャン氏はエージェンティックコマースという視点でセッションを締めくくった。「次の大きな変化は機械同士が決済し合う世界だ。機械がバンカーにメールを送って別の機械との決済を頼む、というのはあまりにも非効率だ。代わりにブロックチェーンを使い、ウォレット内の残高を確認し、ウォレット間で決済し、事後に追跡・照合する。これが自然なかたちになる」
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